ご和讃

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ご和讃  真実信心うるひとは

真実信心うるひとは       すなわち定聚のかずにいる     不退のくらいにいりぬれば         かならず滅度にいたらしむ 真実のまことのこころを身に受けた人はたちまち 生き方の定まった人々の仲間になるので...
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ご和讃  恒沙塵数の如来は

恒沙塵数の如来は      万行の少善きらいつつ   名号不思議の信心を         ひとしくひとえにすすめしむ 私を見守っているガンジス河の砂粒の数ほどもあるたくさんの仏様たちはは自分の計らいで、こうすれば良い...
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ご和讃 信心よろこぶそのひとを

信心よろこぶそのひとを     如来とひとしとときたまう大信心は仏性なり      仏性すなわち如来なり 仏の教えを受け入れて生活している人は阿弥陀如来と同じなのですよ大信心というのは仏になる要素なので...
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ご和讃 善知識にあうことも

善知識にあうことも       おしうることもまたかたし     よくきくこともかたければ      信ずることもなおかたし 私を本当に導いてくれる方に出会うことは難しいものだたとえ出会えたとしても、教えるなどとは、...
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ご和讃 智慧の光明はかりなし

智慧の光明はかりなし   有量の諸相ことごとく  光暁かぶらぬものはなし   真実明に帰命せよ 大自然の摂理というものは私の思い計る知れるようなものではないのです生きとし生けるもの全てはその恩恵を必ず平等に受けている...
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ご和讃 弥陀の本願信ずべし

弥陀の本願信ずべし    本願信ずる人はみな  摂取不捨の利益にて       無上覚をばさとるなり 阿弥陀仏が仏になるにあたって誓いを建てられました。 その誓いのことを、弥陀の本願というのですが、中でも、第...
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ご和讃 悲歎述懐

 鸞聖人の作れた和讃の中に、愚禿悲歎述懐というのがあります。 私は、このご和讃が私達の姿を端的に表されているものだと、いつもいつも思い知らされるのです。 浄土真宗に帰すれども  真実の心はありがたし     虚仮不実...
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