共命之鳥


共命之鳥(グミョウシチョウ)は阿弥陀経に出て来る極楽に棲む鳥だそうだ。私はまだ見たことがない。
どんな色で、どんな声で鳴くのかも知らない。極楽に棲むというのだから、さぞ仏様のような心の鳥だと思っていた。
 ところがよく聞いてみると、まるで双頭の鷲のような格好をしている。身体は一つだが、頭は二つある。

 この鳥がこの世にいる時、餌を見つけて食べようとしたが、一方の頭が考えたそうだ。
 あいつさえいなかったら、俺はこのエサを独り占めで食えるのに。
どちらの頭もそう思ったのだそうだ。そして、頭同士がケンカを始めてしまった。

 どうしたことか、一方の頭のほうが少し力があったようで、突つきあいをしているうちに、とうとう相手の頭を突つき殺してしまった。
 これで思う存分エサが食える。
だが、気がついてみると、相手の頭が腐りだし、胴体まで腐り始めてきた。そして、とうとう自分の頭も腐ってきて、死んでしまったということだ。


お釈迦さんはうまい譬えをしたものだ。

 私達は共なる命を生きているのだ。
 一人だけが生きようとしても、それは不可能なのだ。
 一緒に生きていかなければ、自分も生きていけない。
 生きとし生けるものは みな共なる命を生きているのだ。


私の毎日の生活の有り様は、共なる命を生きていこうとはせずに、いつもいつも、俺が俺がと生きている。そして、あいつさえいなければいいのに・・・・と思って暮らしている。

植木等のスーダラ節という歌がある。
 わかっちゃいるけどやめられねー
彼のお父さん(植木鉄城)が、
 そうや! それが人間の本性じゃ
と息子の植木等に言うたそうな。

本性だからそれでいいというものではない。
それが本性だということを自覚していることが大切だと、如来は私に話しかけている。

植木鉄城は本願寺派(西)のお寺のお坊さんだったのですよ。


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