真宗年表

西暦和 暦 親鸞年齢   事          項
1173   承安 3        1   親鸞誕生。
1175  安元 1    3  源空、専修念仏を唱える。
1177安元 3    5京都で大火があり、京都の三分の一が灰燼に帰した。
1180治承 4    8平氏、東大寺・興福寺を焼く。
京都で大きなつむじ風起こる。
平清盛により、福原京の造営遷都がある。
1181養和 1    9親鸞、慈円のもとで出家。
京都、大飢饉。餓死者42,300人あまり。
1182寿永 1   10恵信尼誕生。
1185元暦 2   13屋島の戦いあり。
京都に大地震あり。
1186文治 2   14大原談義。
1187文治 3   15栄西入宗。
1191建久 2   19栄西帰国し、臨済宗を伝える。
1192 建久 3   20源頼朝、征夷大将軍となる。
1198建久 9   26源空、『選択本願念仏集』撰述。
栄西、『興善護国論』撰述。
1200建仁 1   29親鸞、これまで勤めた延暦寺を出て、六角堂に参籠、聖徳太子の夢告により、源空の門に入る。
1204元久 1    32源空、門弟を戒め、七箇条制偕をあらわす。
親鸞それに「僧綽空」と署名。
1205元久 2   33親鸞、、『選択本願念仏集』を書写し、源空の真影を図画。また夢告により「綽空」の名を「善信」と改める。
1207承元 1   35専修念仏停止の院宣くだる。源空とその門弟処罰される。
親鸞、越後へ遠流。
源空、土佐へ流罪、西意・性願・重蓮・・安楽、死罪。
1211建暦 1   39親鸞、流罪を許される。
源空、流罪を許されて入京、東山大谷に住す
1212建暦 2   40源空没。(80歳)
高弁、『催邪輪』を著わし、『選択本願念仏集』集』を批判。
鴨長明、『方丈記』をあらわす。
1213建暦 3   41高弁、『推邪輪荘厳記』を著わす。
1214建保 2   42親鸞、「さぬき」で三部経千部読誦を発願、やがて中止。常陸へ行く。
1221承久 3   49承久の乱。幕府、後鳥羽上皇を隠岐へ配流。
聖覚、『唯信鈔』を著す。
1224元仁 1   52親鸞、当年を末法に入って683年と「教行信証」に記す。
延暦寺衆徒の奏請により専修念仏禁止される。
覚信尼誕生。
1227嘉禄 3   55道元、『普勧坐禅儀』を著す。
延暦寺の訴えにより、専修念仏禁止される。隆寛ら流罪。
1228安貞 2      56弁長、『末代念仏授手印』著。
1230寛喜 2   59親鸞発熱、病床で『大経』を読み、建保2年の「三部経読誦」の反省を恵信尼i告げる。
1234天福 2   62幕府、専修念仏禁止。
1235文暦 2   63親鸞、『平仮名唯信鈔』を書写。
嘉禎1 如信誕生。
1238暦仁 1   66『正法眼蔵随聴記』成る。
1239延応 1   67『選択集』刊行。
1241仁治 2   73『安楽集』刊行。
1246寛元 4   74親鸞、『唯信鈔』、『自力他力事』を書写。
1247寛元 5   75尊蓮、『教行信証』を書写。
1248宝治 2   76親鸞、『浄土和讃』・『高僧和讃』を作る。
1250建長 2   78親鸞、『唯信鈔文意』を著わす。
1251建長 3   79親鸞、書状により常陸の「有念無念」の論争を制止。
1252建長 4   80親鸞、書状により関東の「造悪無碍」の風儀を制止。
親鸞、『浄土文類聚鈔』を撰述す。
1253建長 5   81親鸞、『唯信鈔』を書写。
親鸞、『後世物語聞書』を書写。
1255建長 7   83親鸞、『一念多念分別事』・『自力他力事』を書写。
親鸞、『尊号真像銘文』(略本)を著わす。
専信、『教行信証』を書写。(専修寺本)
親鸞、『浄土三経往生文類』(略本)を撰述す。
親鸞、『愚禿鈔』を書く。
親鸞、笠間の念仏者の疑問に答え、自力他力について教示。
親鸞、『皇太子聖徳奉讃』を作る。
親鸞、火災にあう。
朝円、親鸞の絵像(安城御影)を著す。
1256建長 8   84親鸞、『入出二門偈』を著す。
親鸞、『唯信鈔文意』を転写。
親鸞、『四十八誓願』を著す。『念仏者疑問』を転写。
親鸞、善鸞を義絶する。
親鸞、『浄土論註』に加点。
康元 1   84親鸞、『西方指南書』を書写。
親鸞、六字・八字・十字名号を書く。
親鸞、『往相回向還相回向文類』を著す。
1257康元 2   85親鸞、『西方指南書』を書写。
親鸞、『唯信鈔文意』を転写して顕智・信証に与える。
親鸞、夢に「弥陀の本願信ずべし」の文を感得。
覚信、『西方指南書』を書写。
親鸞、『一念多念文意』を著す。
親鸞、『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』を作る。
親鸞、『浄土三経往生文頬』(広本)を転写。
正嘉 1 親鸞、『如来二種回向文』を転写。
親鸞、『上官太子御記』を著わす。
親鸞、『浄土文類聚鈔』を転写。
親鸞、『一念多念文意』を転写。
親鸞、性信・真仏に「信心の行者は諸仏と等し」と教示。
1258正元 1   87親鸞、『選択本願念仏集』(延書)を書写。
1260文応 1   88親鸞、『浄土三経往生文頬』(広本)を転写。
『弥陀如来名号徳』成る。
日蓮、『立正安国論』を著わす。
1262弘長 2滅後 90親鸞、押小路南。万里小路東の住居で病臥、入滅。
1263弘長 3  滅後  2     恵信尼、覚信尼宛消息を書く。
1268文永 5滅後  7恵信尼このころ没。
1270文永 7滅後  9覚如(宗昭)誕生。
1272文永 9滅後 11大谷の親鸞の墓を吉水の北に移し、堂を建て親鸞の影像を安置。
日蓮、『開目鈔』を著す。
1274文永11滅後 13『塵袋』が編纂され始める。
1275文永12滅後 14「教行信証』書写される。(西本願寺本)
『和語燈録』成る。
1277建治 3滅後 16覚信尼、親鸞門弟に廟堂敷地譲状を書く。
1282弘安 5滅後 21覚如、延暦寺宗澄の門に入る。
1283弘安 6滅後 22覚信尼、東国門徒に書状を書き、廟堂留守職を覚恵に譲る事を告げ、後事を依頼する。
1286弘安 9弘安  9覚如、一乗院で出家受戒。行覚に学ぶ。
1287弘安10滅後 26覚如、上洛の如信に法義を学ぶ。
1288正応 1滅後 27河和田の唯円上洛。覚如、法義を学ぶ。
1289正応 2滅後 28覚如、『愚禿鈔』を書写。
1290正応 3滅後 29覚恵・覚如、東国に下向。親鸞の遺跡を巡拝し、善鸞・如信にあう。
存覚(光玄)誕生。
顕智、『浄土和讃』・正像末和讃』を書写。
1291正応 4滅後 30性海、教行信証』開板。
1293永仁 1滅後 32顕智、『愚禿鈔』を書写。
1294永仁 2滅後 33覚如、『報恩講私記』を著わす。
1295永仁 3滅後 34覚加、『親鸞伝絵』(初稿)を著わす。
同本を転写。
1296永仁 4滅後 35『天狗草紙』が完成する。
1299正安 1滅後 38聖戒、『一遍上人絵詞』を著わす。
1300正安 2滅後 39如信、常陸金沢で没。(66歳)
1301正安 3滅後 40覚如、『拾遺古徳伝』を著わす。
1302正安 4滅後 41覚恵、廟堂留守職を覚如に譲ることを東国門門徒に告げ、後事を依頼する。
1303嘉元 1滅後 42存覚、東大寺で出家受戒。
1306嘉元 4滅後 45唯善、覚恵に大谷廟堂の鍵の譲与を強要。覚恵、大谷を退去。
1307徳治 2滅後 46覚恵、没。
1309
延慶 2
滅後 48
『浄土文類聚鈔』(光延寺本)書写される。
唯善、大谷の管領をめぐる訴に敗れ親鸞の影像・遺骨をもって、鎌倉常葉に退去。
青蓮院、親鸞門徒に大谷影堂復旧を指令。
覚如、留守職就任の前提として、門徒に懇望状十二箇条を書く。
1310延慶 3滅後 49覚如、留守職相承券文・懇望状を門徒に提示し、留守職に就任。
1311応長 1滅後 50凝然、『浄土法門源流章』を著わす。
1314正和 3滅後 53覚如、存覚に大谷の管領を譲る。
1317文保 1滅後 56存覚、『観無量寿経集註』・『阿弥陀経集註』を書写。
1320元応 2滅後 59存覚、覚如の勘気をうけ、大谷を退去。
1324元亨 4滅後 63存覚、『浄土真要鈔』・『諸神本懐集』・『持名鈔』を著わし、了源に付与。
存覚、『教行信証』を書写。
延暦寺妙香院、覚如の廟堂留守職継承を認め、存覚の就任を斥ける。
有覚、『破邪顕正鈔』を著わす。
存覚、『女人往生聞書』を著わす。
1326嘉暦 1 滅後 65覚如、『執持鈔』を著わす。
1328嘉暦 3滅後 67『教行信証大意』成る(存覚)。
1330元徳 2滅後 69了源、山科興正寺を渋谷に移建し、仏光寺と改称する。
1331元弘 1滅後 70覚如、「口伝鈔』を著わす。
1333正慶 2滅後 72従覚、『末燈鈔』編。
鎌倉幕府滅亡。
1334建武 1滅後 73青蓮院、留守職を安堵。存覚の留守職就任を斥ける。
1336建武 3滅後 75南北朝対立
1337建武 4滅後 76覚如、『本願鈔』を著わす。
存覚、備後において、『顕名鈔』を著す。
覚如、『改邪鈔』を著わす。
1338建武 5滅後 77『浄土真要鈔』 (浅野氏旧蔵、谷大本)書写される。
存覚、法華宗と対論。『決智鈔』・『法華問答』・『報恩記』・『至道鈔』・『選択註解鈔』を著わす。
足利尊氏、征夷大将軍となる。
暦応1 覚如、存覚の義絶をとく。
乗専、『安心決定鈔』を書写。
1340暦応 3滅後 79覚如、『願々鈔』を著す。
存覚、「愚禿鈔Lを書写。
1341暦応 4滅後 80覚如、『愚禿鈔』を書写。
乗専、『選択集』を親鸞加点本により延書する。
覚如、『教行信証』を書写。
1342康永 1滅後 81存覚、『愚禿鈔』を手写。
覚如、存覚を再び義絶。
幕府、五山十刹の制を定める。
1343康永 2滅後 82覚如、『最要鈔』を著わす。
存覚、『教行信証』を延書する。
『親鸞伝絵』(康永本)成る。
1344康永 3滅後 83覚如、『口伝鈔』を転写。
1345貞和 1滅後 84従覚、『改邪鈔』を書写。
1346貞和 2滅後 85源覚、『教行信証」(延書)を書写。
『親鸞伝絵』(弘願本)成る。
1347貞和 3滅後 86存覚、『観無量寿経』を書写。
『安心決定鈔』書写される。
1348貞和 4滅後 87存覚、『大無量寿経』を書写。
1349貞和 5滅後 88定専、『後世語聞書」を書写。
1350観応 1滅後 89覚如、存覚の義絶をとく。
1351観応 2滅後 90覚如没。(82歳)
従覚、『慕帰絵詞』編。
存覚、『大経』・『観経』・『小経』を書写・加点。
1352文和 1滅後 91乗専、『最須敬重絵詞』編。
1356延文 1滅後 95存覚、『浄土見聞集』を著わす。
1358延文 3滅後 97存覚、『末法燈明記』を書写・加点。
1359延文 4滅後 98存覚、『嘆徳文』を著わす。
1360延文 5滅後 99存覚、『教行信証六要鈔』を著わす。
1362康安 2滅後101存覚、『浄典目録』編。
1364
貞治 3滅後103『三河念仏相承日記』成る。1366貞治 5滅後105存覚、『嘆徳文』を補訂。
1373応安 6滅後112存覚没。(84歳)
1389康応 1滅後128善如(俊玄)没。(1333-)
1393明徳 4滅後132綽如(時芸)没。(1350-)
1415応永22滅後154蓮如(兼寿)誕生。
1424応永31滅後163存如、『安心決定鈔』を書写。
1430永享 2滅後169本願寺、信濃浄寺周観に『執持鈔』を下附。
1431永享 3滅後170蓮如、青蓮院で剃髪。
1438永享10滅後177蓮如、『浄土真要鈔』を書写。存如、識語を記す。
1439永享11滅後178蓮如、『後世物語聞書」を書写。
1440永享12滅後179巧如(玄康)没。(1376-)
1441嘉吉 1滅後180蓮如、『浄土真要鈔』(略本)を書写。
1446文安 3滅後185蓮如、『愚禿鈔』を書写。
1457康正 3滅後196存如(円兼)没。(1396-)
1460長禄 4滅後199蓮如、『正信偈大意』を著す。
1461寛正 2滅後200蓮如、はじめて『御文』を書いて門徒を教化。(47歳)
1465寛正 6滅後204延暦寺衆徒、大谷本願寺を襲う。
蓮如、近江堅田に移る。
1467 文正 2滅後206本願寺の親鸞影像を、近江栗本郡安養寺から堅田本福寺へ移す。
応仁 1 延暦寺本院、本願寺を赦免し末寺とする。
応仁の乱おこる。
1468応仁 2滅後207堅田本福寺の親鸞影像を、大津の新殿に移す。延暦寺衆徒、近江堅田を攻める。
蓮如、『報恩講私記』を書写。
蓮如、北国・東国の親鸞遺跡を訪ねる。
1471文明 3滅後210蓮如、越前吉崎に坊舎を建てる。
1473文明 5滅後212蓮如、『正信偈』・『三帖和讃」開板
吉崎坊舎への諸人の出入を禁止。
蓮如、十一カ条を示して門徒を制戒。
蓮如、身辺に不幸多く、無常感深まる。(59歳)
1474文明 6滅後213吉崎坊舎焼失。
加賀本願寺門徒、富樫政親と組み、専修寺門徒および富樫幸千代の軍と戦う。
1475文明 7滅後214加賀の本願寺門徒、富樫政親と争う。
蓮如、門徒に十カ条の制戒。
蓮如、吉崎を去り、河内出口に着く。
1477文明 9滅後216この年、応仁以来の兵乱一応終わる。
1478文明10滅後217蓮如、河内出口を出て、山科に移る。
1480文明12滅後219山科本願寺御影堂上棟。
1487長享 1滅後226加賀一向一揆激化。
1488長享 2滅後227加賀本願寺門徒、富樫政親を亡ぼす。
蓮如、加賀門徒の一揆を戒める。
蓮如、幕府より加賀門徒の破門を迫られる。
1489延徳 1滅後228蓮如隠居。
1490延徳 2滅後229能登で、本願寺門徒、守護攻略を計る。
1497明応 6滅後236大坂石山坊合完成。
1499明応 8滅後238蓮如没。(85歳)
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