先頃、テレビで臨死体験について放送していた。
臨死体験については、随分以前から言われていたことで、だいたいの中身は聞いたことがある方が多いと思う。
広い野原に綺麗な花が咲き乱れ、まばゆい光が輝いて身を包み込み、はるかな一本道があった。「死ぬと言うことは、こんなにも安らかな心地なのか」と思いめぐらしていると、向こうの方からお祖母ちゃんが出てきて、「あんたはまだ死ぬのは早いから戻りなさい」というので、後ろを振り返ったら気がついた。
とか、
自分の身体から自分が抜け出て、天井近くからベッドに横たわっている自分を見ていた。
とか、
ところが、これらの体験は、おおよそ阿弥陀経に描かれている世界にそっくりである。
臨死体験に、地獄の入り口を見てきたというものをあまり聞かない。殆どが極楽の世界のようである。
地獄はというと、このホームページにも書き込んでいるが、「十王経」というお経に地獄のことが詳しく解説されている。(本当かウソかは別として)
なぜ地獄の臨死体験が殆どないのだろうか。人は死ぬと必ず極楽へ行くのだろうか??。
昔は電波や磁力というものを人間は知らなかった。現在の科学で知り得ないことだから、「極楽がない」という事は断言出来ないのではないか。
ということでもあった。
しかし、医学的には、脳の側頭葉というところを電気信号で刺激してやると、臨死体験で見たものとほぼ同じような意識が働くということを聞いたことがある。
人間の脳の働きには、とてもうまい仕組みがあって、死に匹敵するような苦痛があると、その苦痛を和らげるようなホルモンが分泌されるという。
生物が快楽を追い求めるのも、脳が出す物質への脳自身の欲求であるとも言われている。以前私は電気鋸で指を切断したことがある。本当はとても痛いはずなのに、しびれてしまって、痛さを感じなかった。だから縫合してもらう時も麻酔はしなくてもよかった。
人は、幼い頃から、無記憶のあいだに、極楽の様子などを聞かされているものだ。普段は意識していないものが潜在意識として、危機に瀕したときに呼び戻されるのではないかと考える。
透視といういわば念力のようなものもその一つだ。テレビでの実演を見ていると、あれは下手な手品そのものである。何やら仕掛けがありそうなアイマスクをして・・・・。目を隠すのであれば、分厚い真っ黒な、そしてコーティングのしてある袋をごっそり頭からかぶってやって見せて欲しいものだ。スプーン曲げも手品で十分出来る。
これらとを上手に使えば、人を脅し、恐ろしがらせ、あるいはなだめ込んで、商売にだって成りうると思うのだ。新たな迷信を発生させ、それをネタに・・・・・。
あんたの背中に水子の霊がしがみついとる。
そう言うと、何人かの女性は、あの子のことか? と思い、顔を青ざめる。
お供養して進ぜましょうか?
と言うと、つい、その気になって・・・・・。
ところが、中には、
私にはそんな事を言われる事はありません。
と、真っ赤になって怒られる方もある。
その時はあわてずに、
いやいや、あなたがとってもいい方ですから、よその子があなたを慕って離れないのでしょう。
と言う。
そうすると、トタンに真顔になって心配し始める。
このやりとりの仕方は、手品師の選択と言われいるものである。
こんな具合にあの世のことを利用する者が出てこないかと言うことだ。マインドコントロールに負けてはならない。
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