歎異抄 用語解説部


誓願不思議 阿弥陀仏が因位(菩薩がさとりを開くために修業している間:法蔵菩薩であった)の時に、生きとし生けるものを救いたいという願を発し、その願が成就しない限り、仏にならないと誓われた。その願は、人間の思慮・分別・議論を超越しているで不思議という。(同意語:弘誓:悲願:本願)

煩悩具足の凡夫 心身を悩ませ、さわがせる貪欲(むさぼり)瞋恚(いかり)愚痴(おろかさ)を三毒の煩悩と言い、それを身にそなえた者のこと。親鸞は常に自身のことを、煩悩具足の凡夫と自覚されていた。

浄土 煩悩を離れた清らかな世界。仏の国とも言う。「大無量寿経」や「阿弥陀経」では、阿弥陀仏の浄土は娑婆世界の西方、十万億の仏国土を過ぎたところにあると説かれている。

念仏 仏を念じること。特に真宗では阿弥陀仏の名号「南無阿弥陀仏」を称えることをいう。

摂取不捨 「観無量寿経」に説かれている言葉で、阿弥陀仏が念仏の行者を、その光明の中に救い取って捨てないということ。親鸞聖人、はこれを阿弥陀仏という名のいわれとされた。

信心 信じて疑わない心(まことのこころ)。真宗では「信仰」と言う言葉は使わない。安心(あんじん)ともいう。

 世間一般的な善ではなく、さとりを得る手段としての念仏以外の修業や善行を言い、親鸞聖人は、「雑行・雑修」としてこれを排除された。

極楽 浄土ともいう。苦しみがないところの意。阿弥陀仏の浄土とも言う。

奈良や比叡山 奈良の興福寺の諸大寺と比叡山の延暦寺をさす。

法然上人 浄土宗の開祖。(1132~1212) 主著に「選択本願念仏集」2巻があり、親鸞聖人の師。龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空の七高僧の一人で浄土真宗の第七祖。

種 結果をもたらす原因。

地獄 苦しみの極まった世界。

釈迦牟尼仏 仏教の開祖。約2500年前、インドの釈迦族の王子として誕生された。釈迦は種族の名。牟尼は聖者の意。釈尊とも呼ばれる。

善導大師 中国浄土教の大成者。(613~681) 浄土真宗の第五祖。

善人 自分の宗教的善行を頼る人。自力の往生をめざす人をいう。

悪人 迷いの世界から離れられない煩悩具足のわれらのこと。

自力作善の人 自力によって作り上げた善により往生しようとする人。

流転輪廻 衆生が三界六道に生まれ変わり死に変わること。六道とは衆生がそれぞれの行為によって趣き往くところを六種に分類し、六趣ともいう。(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)

回向 「めぐらし、さし向ける」こと。自ら修めた善根功徳をさし向けて救うこと。ここでは、死後の人たちを、自ら修めた善根功徳を差し向けて救うこととして使われている。

四生 衆生が生まれる四種の形態。母胎から生まれる胎生。卵から生まれる卵生。湿気から生まれる湿生。よりどころなく、ただ業力によって突然に生まれる化生。

専修念仏 専ら念仏だけを修め、他の行を修めないこと。

天神・地砥 梵天・帝釈天・四天王などの天の神。堅牢地砥・八大竜王などの地の神。

魔界・外道 魔界とは人の命を奪い、善を妨げる悪鬼神。外道とは仏教以外の教えを外道という。

異義 親鸞聖人の正統な教義と異なる義。異安心ともいう。

名号 仏・菩薩の名前を名号という。浄土教では、特に阿弥陀仏の名をいう。浄土真宗では「南無阿弥陀仏」を六字名号、「南無不可思議光仏」を八字名号、「南無不可思議光如来」を九字名号、「帰命尽十万無碍光如来」を十字名号という。親鸞聖人は仏の衆生救済の願いが名号となってあらわれているのであり、摂取して捨てないという本願召喚の勅命であると言われている。

第十八願 阿弥陀仏の四十八願の中で、第十八願は「たとい我(法蔵菩薩)仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に(阿弥陀仏の国土=浄土)に生ぜんと欲して、乃至十念せん。もし生ぜずば、正覚を取らじ。ただ五逆と正法を誹謗んとをば除く」とある。また、「真実五願」とは第十一願・第十二願・第十三願・第十七願・第十八願を言う。

真実の浄土 浄土に「真実報土」と「方便化土」の別がある。他力の信心を得た者だけが真実報土に往生する。

辺地懈慢 辺境の意。真実報土のほとりをいう。懈慢はなまけ、おごる者の意。本願を疑いながら自力の行をはげむ者が留まるところ。第十九願、第二十願の疑心自力の行者が往生するところで、方便化土という。

疑城胎宮 辺地懈慢の別名。浄土に生まれても、蓮華の中に包まれて、あたかも母の胎内にあるがごとく、五百年の後、仏に遇い、法を聞き、聖衆を見ることが出来るところ。

第二十願 疑心自力念仏の行者も、浄土に救われると説かれている。

経釈 経は仏の教法を記述したもの。釈は経の心を解釈したものをいう。

往生不定 往生が決定しない不安定な状態。

正教 教典や相承の祖師・宗祖などの著述。聖教ともいう。

易行道 阿弥陀仏の本願力によって、浄土に往生してさとりを開く道。浄土門のこと。

難行道 自力によって長いあいだ種々の困難な行を修して仏に成ろうとする道。聖道門のこと。

本願ぼこり 本願に救われることを誇りに思い、本願に甘えること。しかし本願力に甘え、つけあがって、どんな悪事をはたらいても、救われると考え、悪を反省する心のないものを異安心という。

宿業 現実の自己が限りない過去と連続しているという宗教的な見方。ここでは、人間は自己の思いのままに、すぐに善人になれるほど単純なものでなく、縁に遭遇したらどのような振る舞いをするかも知れない存在であり、自分でも手のつけようがない深い煩悩を持つものであるという人間のありさまを知らせて、自力のはからいを捨てさせ、本願他力にまかせるようにと勧められた言葉である。宿業の語が、浄土教において誤って用いられた経緯があり、「因果応報」というような表現で、固定的な因果論を説き、現実社会の貧富、心身の障害や病気、災害や事故、性別や身体の特徴までもが、その人の個人の前世の業の結果によるものと理解させ、貴賎、浄穢というような差別を助長し、その責任を、その人個人に転嫁してきた歴史がある。

唯信抄 法然上人の門下で、親鸞聖人の法兄・聖覚の著。浄土門の教えは、自力をはなれて、本願他力をたのむ信心が肝要であると述べたもの。

五劫思惟の願 劫は長い時間のこと。「磐石劫」は四十里四方の石を、百年に一度ずつ薄い衣で払って、その石が摩滅し尽きた時間。また「芥子劫」は、四十里四方の城に芥子を満たし、百年ごとに一粒ずつ取り出して、すべての芥子がなくなつた時間。思惟は考え抜くこと。願は法蔵菩薩の四十八願をさす。

十悪 殺生・偸盗(ぬすみ)・邪婬(よこしまな男女関係)・妄語(うそいつわり)・両舌(人を仲たがいさせる言葉)・悪口・綺語(誠のない飾った言葉)・貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)

五逆 父殺し・母殺し・阿羅漢(聖者)殺し・仏身を傷つけ血を流す・教団を分裂させる行いをいう。

一念発起 疑いのない信心が起きること。阿弥陀如来の本願を信じる心が初めて起きること。

正定衆 浄土(真実報土)往生することが正しく定まり、必ずさとりを開いて仏に成ることが決定している人をいう。第十八願の信心の行者のこと。

即身成仏 人間が、この肉身のままで究極のさとりを開いて仏になること。天台宗・真言宗などで説く。

三密 密教で仏の身・口・意のはたらきをいう。人間の思議の及ばないところを密という。

六根清浄 六識を生じる眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官の総称で、それが清らかになること。法華経を受持・読・諦・解説・書写する五種の行によって得られるという。

四安楽行 「法華経」に説かれる四種の行法。身安楽行・口安楽行・意安楽行・誓願安楽行をいう。あやまちを離れ、すべての衆生をさとりに導こうという慈悲の誓願を発すこと。

真如 ものの真実のすがた。あるがままの真理。真とは真実の意味で、虚妄でないことをあらわし、如とはその性が変転しないことを意味している。

戒律 戒は仏教に帰依したものが守るべきいましめ。律は戒を守るために規定した罰則や仏教教団のさまざまな規則。

苦海 生老病死など四苦八苦の世界。三界・六道の迷いの世界は苦しみが充満し、衆生はその中に常に没して脱出できないから、広く果てない海に例えていう。

法性真如の月 法性は一切の存在の真実常住なる本性を指す。真如も同意語。法性・真如の理が、衆生の虚妄を破ることを、明月が夜の闇を照らすのに例えていう言葉。

三十二相 仏身に備わっている優れた容貌形相のなかで顕著なもの。

八十髄形好 さらに微細な特徴を八十種に分ける。三十二相と合わせて相好という。

回心 心をめぐらすこと。浄土真宗では自力の心を捨てて、他力をたのむ信心のこと。

真身観 阿弥陀他の色身を観想する方法を説いたもの。

方便報身 阿弥陀仏が、自力の行者の能力に応じて、有限な相をとってあらわれた方便化身のことを、ここでは方便報身といっている。

大集経 仏が十方の仏・菩薩や神々を集めて大乗の法を説いた経。

六波羅密 大乗の菩薩が修めねばならない六種の行業。・布施(施しをすること)・持戒(戒律をまもること)・忍辱(たえ忍ぶこと)・精進(進んで努力すること)・禅定(精神を統一し、安定させること)・智慧(真実のさとりを得ること)

雑行 阿弥陀仏以外の諸仏・菩薩を礼拝したり、その名を称え賛嘆するなどの様々な行(ぎょう)を行なうことをいう。正行の対。浄土教では、特に阿弥陀仏に対する読誦(どくじゆ)・観察(かんざつ)・礼拝(らいはい)・称名(しょうみょう)・賛嘆供養(さんだんくよう)の五つを、阿弥陀仏に関係のない諸善万行(雑行)に対して正行という。

御同朋 親鸞聖人は、阿弥陀仏の平等の大悲に包まれて、ともに仏子として救われていく念仏者の平等性と互敬の思いを示された言葉として使われている。「一切の有情はみなもて世々生々の父母・兄弟なり」とあり、念仏者だけでなく、すべての衆生は、同じ命に連なる父母・兄弟であるとして、同朋の観念を一切衆生までひろげて普遍化されている。

散善義 善導大師の観経四帖疏の中に出てくる部分。二種深信の中の機の深信の言葉である。

火宅無常の世界 火に包まれた家のように、全ての物がたちまちのうちに変転する世の中。

七箇条起請文 法然教団が提出した七箇条起請文の要旨は、旧仏教を非難攻撃したり、道徳をおろそかにしたりしないことを誓ったもので、法然上人とその門弟百九十人の連署がみられ、そのなかに親鸞聖人も「僧綽空」と署名されている。

専修念仏の停止の奏状 南都・興福寺から専修念仏に次の九箇条の重大な過失があると、訴え出た。それは・朝廷の許可なく新宗を立る失・新像を図する失・釈尊を軽んずる失・万善を妨げる失・霊神に背く失・浄土に暗き失・念仏を誤る失・釈衆を揖ずる失・国土を乱す失。
 専修念仏は、本質的に国家仏教と相容れるものではなかったので、朝廷は承元元年(1207)、法然門下に弾圧を開始した。これを「承元の法難」という。

流罪 刑として辺地に流すこと。近、中、遠の三等級にわかれ、近流は越前・安芸など。中流は信濃・伊予など。遠流は伊豆・佐渡・隠岐・土佐など。

藤井善信 親鸞聖人は処罰を受けるにあたって、還俗を強いられ「藤井善信」という俗名を付けられた。

無動寺の善題大僧正 無動寺は比叡山の東塔にあった寺。善題大僧正は、前の大僧正慈円(慈鎮)和尚をさす。

二位法印尊長 正二位権中納言一条能保の子。法勝寺の執行となった。「法印」は法印大和尚の略で僧位の最高位。

外記庁 詔勅の起草・上奏文の記録などをつかさどる役所。


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