迷信に振りまわされない私になりたい 再び服忌令


喪中ハガキを出すべきかどうか  迷っているあなたに

 もそも喪中ハガキというものが今のように普及したのは凡そ30年ほど前のことと記憶しています。
『冠婚葬祭』のマナー本の普及と、葬儀社さんの付加価値的CMにもよるのでしょう。
 出すか出さないかは、あなたが本当に「忌中」という生活をされているか、「喪中」という生活を送られているかによります。
 つまり、本当に喪に服されているのならともかくも、普通の生活をされていて、「周囲の人が出すから」という理由だけでなら、現代の悪弊の一翼を担っているような気もします。

 「忌中」「喪中」と言うものの期間が明治時代に太政官布告で改めて統一されることになりました。
当時は「家柄」・「男尊女卑」という考え方が基本でしたから、今になって思うと随分不思議な区分がしてあります。
 1年間も「喪に服す」などと言うことは現在の世情では全く不可能ですし、男女によって不平等であり、家督を継ぐか次がないかによっても期間に差がつくってあります。
 「忌中」や「喪中」の期間を、謹んで亡き人の思いに浸るのは、せいぜいが仏教でいう満中陰(49日間)が精一杯でしょう。余程悲歎に暮れているのであれば別ですが、満中陰を過ぎると、否応なく新しい生活に向かって生き生きと進まれては如何でしょうか。
 実体の伴わない「忌中」や「喪中」に事かけて、「喪中ハガキ」が配達されると、受けとった側も、どうして良いものか困るのが実情です。これ幸いと、これを機会に義理年賀を止めるキッカケにすれば良いのかも知れませんね。

何を伝えれば良いのか

 年賀状を書き、一年に一度の交誼をたしかめる時期がやってきます。その時に、

 実は父が3月に亡くなりました。父の生前中は親しくしていただき、あなた様のことをたびたび話題にしておりました。
 今年は本人が年賀状を用意する事が叶いません。どうぞお健やかに年末年始をお過ごし下さいませ。

というような文面であればいかがなものでしょうか?
実行もしていないのに、
 …………只今喪中につき、年末年始のご挨拶を失礼いたします。…………
などと書くのは、かえって相手に大変失礼な、傍若無人な文面であることに、どうぞ気付いていただきたいものです。
 なぜなら、亡くなられた方との厚誼はあっても、喪主であるあなたとは一面識もないんですから。 

 明治7年、それまで「京家の方式」と「武家の方式」の2つの仕来りのあった「服・忌」の方法を「武家方式」に統一されました。それは「武家方式」の方がいずれも期間が短かった為と思われます。


 文明開化の中で、のんべんだらりんと「服」や「忌」にかこつけて休まれてはたまらなかったでしょうし、外国からみれば、「なんと日本は迷信の国か」とも思われたくなかったのでしょうね。この年の前後には、「女人結界の廃止」「混穢の制の廃止」「死穢1日限り」「産穢の廃止」など、迷信に関わるものが次々と廃止するとの布告が出されています。
 しかし、私たちは「しぶとい民族」(?)なのでしようか、130年以上経過しても、「お触れ」に逆らっても…。

根拠のない服と忌の定め

 『服忌令』というものは、そもそも根拠のない「服や忌はどうしたら良いのか?」と不安がる無智無明の人たちに、安堵感を与える為に定められたとしか理解できないものです。江戸時代の中頃以前は、その都度「あーだ こーだ」とバラバラだったのです。

 今日、物事を正しく見ておられる方は、ラジオの電話相談などで「もう満中陰が済んだら、元気に社会に戻っていきましよう」と、こんな迷信の「服忌令」を否定されていますね。しかし、一方、私たちの周りをよくみると迷信に振りまわされています。

 明治の服忌令をわかりやすく一覧にしてみました。「男女同権」「一人ひとりの命は尊い」という現代の人権感覚で見てください。そうすると、『明治の服忌令』は何んとくだらないものかが見えてくるでしょう。

     亡くなられた方との関係忌中の期間喪中の期間
実の父母  50日間 13ヶ月間
養父母(育ての親)  30日間150日間
嫡母(生みの親)  10日間 30日間
継母・継父   10日間  30日間
離婚して去った母 50日間 13ヶ月間
  30日間 13ヶ月間
  20日間  90日間
跡取り息子  20日間  90日間
跡取りでない子ども  10日間  30日間
夫の父母  30日間 150日間
祖父母(父方)  30日間 150日間
祖父母(母方)  30日間  90日間
曾祖父母(父方)  20日間  90日間
曾祖父母(母方)  遠慮1日 遠慮1日
高祖父母(父方)  10日間 30日間
高祖父母(母方)   遠慮1日  遠慮1日
兄弟姉妹(異母も含む)   30日間  90日間
異父兄弟姉妹   10日間  30日間
跡取りの孫   10日間  30日間
跡取りでない孫(曾孫・玄孫・甥・姪同様)     3日間  3日間
嫁いだ娘の曾孫・玄孫    なし   なし
従父兄弟姉妹   3日間   3日間
妻の父母(夫としては)服忌の対象外服忌の対象外
妻の祖父母(夫としては)服忌の対象外服忌の対象外

 ついでに、「死の穢」とはどういう状況で発生するか、太政官布告(明治7年11月18日)の添付書類には次のような注釈が書かれています。原文は仮名交じり漢文調ですから、平仮名に読み下しにしました。

 家の内にて人死にそうろう時、一間に居合わせそうらはば、死穢これを受くべし。敷居を隔てそうらへば穢これなし。一間に居合わせそうろうとも、存ぜずそうらへば穢これなし。二階にても揚り口、敷居の外にこれ有りそうらへば穢なくそうろう。家なき所に死人これ有る時は、その骸これ有る地ばかり穢そうろう。家主死去そうろうても、死穢の儀差別(しゃべつ=区別という意味)これなく、死後その所へ参りそうろう者は、骸これありそうろうとも、踏合の穢なり。

 踏合の穢は行水をすれば良いと定めてある。死のケガレというものは、このように曖昧な、陳腐なものなのです。

 江戸時代の血の汚れで傑作なのは、「痔の出血はケガレるのでしょうか?」との問いに、「出血が3滴までならケガレない」との公式の返答がある事を『徳川実紀』の中に記載されています。

 公式行事り最中に家人が亡くなった場合、知らせを受ければ死のケガレになるが、知らなかったらケガレないというのです。

 これでもまだこの迷信を実行しますか?


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