コペルニクス(1473-1543)が、地動説を唱えてから後、ガリレオ(1564-1642)がまた地動説を発表した。コペルニクスは地動説を数学的仮説としたために宗教裁判にかけられることはなかったが、地球は不動であり、天が動いているとする聖書の記述から、ガリレオは異端者として宗教裁判にかけられ、自説を引っ込めざるを得ない窮地に追い込まれた。「それでも地球は回っている」というのは、ガリレオの言葉とされている。ガリレオの名誉回復が行われ、ダーウィンの進化論も『仮説以上のもの』と認められたは、ついこの間のパウロ2世(1920-2005)の時である。
ガリレオが、地動説を証明した糸口は、金星の満ち欠けを観察していて、不思議なことを発見したことであると伝わっている。
金星が三日月(?)になった時と、満月(?)になった時とでは、その大きさが違うと言うことに気づいた。三日月状になった時は大きく、満月状になった時は小さく見えるというのである。
素人の私には残念ながら金星の満月(?)と金星の新月(?)を見ることはできないが、《太陽が眩しすぎて》、半月→三日月、三日月→半月を見ることはできるように思える。
地球と金星の距離は、満月に近いほど遠く、三日月に近いほど近くに位置する。図で見れば一目瞭然ではあるが、この図が考えられる以前に、金星の大きさの相違から、金星も地球も太陽の周りを回っているなどと、よくも考えついたものである。
ガリレオの考えた延長線上にニュートンの万有引力の法則があり、アインシュタインの相対性原理があるのだというから驚いた。

よく観察するということが真理を見いだす手だてであることの証明だ。
そんなことを考えていると、ついつい明けの明星が出る頃になってしまった。
そこでふと思ったのである。
地球の赤道付近の円周は40,077キロメートルだそうだ。地球は一日に一回転するので、赤道付近の人は、時速1,670キロメートルの早さで東に向いて吹っ飛んでいることになる。
極点(北極点・南極点付近の地軸)から1メートル離れた人の一日に回る距離は約3メートル。すると、そこに立っている人は時速125センチメートルで東に向いて回転していることになる。尺取り虫よりも遅いスピードだ。
そんなにものすごいスピードの差があるにもかかわらず、赤道に居る人も極点に居る人も、共に約1万キロメートルの腕を持っていたら、すれ違うことなく握手することができる。
いや待てよ、レコード盤だってそうじゃなかったか?
中心付近のスピードは遅く、円盤の端の方ほどスピードが早いが、レコード盤についたゴミは、互いの位置関係を保ちながら回っていた。
いやはや、話は途方もない方向へ行くのだが、地球は太陽の周りを一年かけて一回りするのだが、地球が回っていくスピードは、時速107,229キロメートルなのだそうだ。鉄腕アトムだって追いつけないかも知れない。
太陽系そのものも銀河の中で回っており、銀河もビッグバンの破裂のスピードに乗ってものすごいスピードで四方八方に広がっているというから、私はいったいいくらのスピードで移動しているのだろうか?
微塵から三千大千世界などという数の単位の原点が仏教にあるのだが、仏教は天動説だったのか地動説だったかと疑問を持ってきた。
紀元前6~5世紀頃のインドには、祭祀を司ることを職業とし、アーリア人(他の地域からインド侵入してきた民族)によるインド建国を神話的に説き、人や自然は神々や宇宙創造者(これらを「ブラフマン」と呼んでは冒険かもしれないが)作ったものとするベーダ聖典を信奉するバラモンと、この世界にはいくつかの要素があって、それらが集合してこの世を構成していると考えたシュラマナ(沙門)が二大宗教勢力としてあったと言われている。
シュラマナ達は、誰が世界を作ったかということが問題ではなく、この世に存在する全てのものは、相互に関係しあう中で成立し、その関係の関わりが大切であるということが最大の課題であった。
釈迦もこれらシュラマナ達の一員であった。このあたりのことは、講談社学術文庫『仏陀のいいたかったこと』(田上太秀著)に詳しく記載されている。
仏教は譬喩が多いので、あたかも天動説の様な説明になっていることが多い。実はバラモンの考えが大いに影響していることは間違いなさそうだ。アニメ映画『天空の城ラピュタ』の様に、世界が宙に浮いている絵を見たものだ。ロマンがあって面白いが、現実は随分違う。
西方過十万億土に極楽浄土があって・・・・と経文にあるが、ちょと待って。少しの歳差はあってもほぼ南極方向とか北極方向は地球から見た宇宙の座標としての検討はつくのだが、西方と言われても、地球は一日に1回転していて、今の西方は12時間後には宇宙座標から見ると東方になってしまう。
てな、屁理屈を考えると、大乗経典を作った人の頭の中には、地動説ではなくて、天道説だったのかも知れない。いやいや、そういう物理的な意味ではなくて、日が沈んで一日が終わっていく、つまり人生の終末の方向として、西の方角を観念的に表現したのだという。哲学というものは難しいものだ。
そういえば、「極楽」という言葉を作ったのはクマラジュウ(鳩摩羅什 350-409)という人だった。
脚下照顧という言葉があって、「まず自分の足元を見なさい」と言うのだけれども、宇宙という大きな世界の中から、私たちの生き様を見てみると、なんと小さな生き物であって、小さなことにクヨクヨし、関係を持とうとするのではなく、関係を絶とうとしながら生きている現実が見えてくる。
神戸の夜景は百万ドルだというのだけれども、あの一つ一つの明かりの下に、児童虐待もあれば夫婦喧嘩もあり、はたまた近隣とのもめ事も、そして嬉しいことも楽しいことも入り交じっている。
宇宙はビッグバンで始まったというのだが、ビッグバンの微塵に乗っていのちを生きている私たちなのだから、せめて手の届く範囲の中では、不倶戴天ではなく、呉越同舟で生きていきたいものである。
「私は私であって良かった。私が私であったから、私はあなたに出会えた。あなたに出会えて良かった」という生き様を目指すのが仏教の本来の願いであると言われた方がいた。私はその反対を生きているのではないだろうか。「私は私でなかった方がよかった。あなたと出会いたくなかった」と言いながら実は生きているのかも知れない。宇宙という長い歴史の中で、いのちが私を生きているという実感はなぜわいてこないのだろうか?
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