厳粛で、いいなぁ、悲しみを共有出来た、そんなお葬式を紹介しよう。
「おばあちゃんが死んだ。いつもボクが学校へ行くときに、曲がり角まで見送ってくれた。学校から帰ると、おばあちゃんがおやつを用意していてくれた。おばあちゃん、ほんとうにありがとう。」 孫が弔辞が読み上げた。ノートの切れ端に書いた弔辞であった。それでいい。それでいい。
還骨勤行で、きみょうむりょうじゅにょらいー。みんなが声を出して正信偈を唱えた。遺骨を前に、死を見つめながら生をかみしめた。それでいい。それでいい。
四十九日までの逮夜逮夜のお参り。家族と一緒に阿弥陀経と正信偈を繰り返した。四十九日の満中陰では、みんなが大きな声で唱えることが出来た。孫が中学校から自転車で帰ってきた。何か歌を歌っているみたいだったが、よく聞いてみると正信偈だった。おじいちゃんが孫の中で正信偈を唱えていた。それでいい。それでいい。
清め塩もなかった。踏み塩もなかった。弔電も「ご家族の方にお渡しします」とだけの紹介だった。見舞いにも来てくれなかった議員さんの弔電なんか聞きたくない。それでいい。それでいい。
葬儀屋さんが協力してくれた。家族も親戚も協力してくれた。真宗のお葬式をしましょう。マイクが静かだった。みんなで悲しみを分け合ったお葬式だった。それでいい。それでいい。
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