いつまでも絶えることなく


♪いつまでも絶えることなく♪ ♪友達でいよう♪

 森山良子さんが20数年前に歌ったフォークソングの歌い出しである。先日テレビを聞いていたら、この歌声が流れてきた。JRのコマーシャルであった。

 この歌の流行った時代背景はいったいどんな時代だったか。
 学生運動が山を迎え、日本赤軍がニュースに流れ、学生達は明日の希望に胸を弾ませながらも、その反面では失望感が一杯であった。今、失業率は戦後最高の5.6%。とても明日に希望が持てる時代ではない。

♪明日があるさ明日がある♪
も同時代だった。
♪上を向いて歩こう♪
もそうだった。


 いつまでも絶えることなく友達でいようというのは、口では簡単だけれども、本当に友達で居続けるというのは、とても大変な事である。
 なれ合いで付き合っていては、最後はどちらもドツボにはまってしまう。
 相手に注意や讒言をすれば、煙たがられ、疎遠になってしまう。

 いつまでも絶えることなく友達でいるという関係を維持するためには、相手の気持ちを気遣うだけではなく、互いに方向を正し、それを素直に聞いていく関係が大切である。自分の立場だけを主張し、相手の讒言が聞けなくなれば、良い関係を続けられるわけはない。

 自分にとって都合の悪いことを指摘されたら、それは相手が自分との関係を大切にしようとしている証左なのに、それを逆に取ってしまう。だから電話もしなくなるし、顔を合わせても、妙に余所余所しくなっていく。メールもぷっつりと来なくなる。そんな経験はないですか?


 仏教では、人は人と出会うために生まれてくるとも言われています。でも現実には、人と出会おうとしない自分づくりの道を歩いていませんか?

 いつまでも絶えることなく友達でいようと言うことは、楽しい日もあるでしょうが、イバラのような日も、手をつないで乗り越えて行かねばならないのです。
 良いことだけ、傷つけないことだけ、相手の気に入るようなことだけの表面の繕いだけの関係では、決していつまでも絶えることなく友達でいることは出来ないのです。表面の繕いだけでは、やがて周りも巻き込んで沈没してしまうのです。

 生きていく、進んでいく道をしっかり眼を開けて見据えて行かねばならないのですよと教えているのが仏教なのです。
 決して、私の目先の欲を満たすために仏教が存在するのではないのです。そんなのは仏教とは言わないのです。
 それはつまり、人が人として生きていく道、人が人として生きて行かねばならないための生き方の示唆でもあるのです。


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