万物の霊長


 人間は万物の霊長とよく言われます。しかし、本当に霊長なのでしょうか。
食物連鎖という言葉、つまり食って食われていく繰り返しということをよく聞きます。

一匹のマグロが食べ頃になるまでには、百匹のサバを食べる。
一匹のサバが食べられ頃になるまでには、百匹のイワシを食べる。
一匹のイワシが食べられ頃になるまでには、百匹のイカナゴを食べる。
一匹のイカナゴが食べられ頃になるまでには、百匹のチリメンジャコを食べる。
一匹のチリメンジャコが食べられ頃になるまでには、百匹のミジンコを食べる。
一匹のミジンコが食べられ頃になるまでには、百匹のプランクトンを食べる。
と、こんな計算をした学者があります。

 人間が一匹のマグロを食べる(と言っても、一人で一匹丸ごと食べることはできませんが)と言うことは、計算上では一兆一匹の命を食べることになるんだそうです。

ところが、この人間を食べる生き物はこの地球上にはいません。
そろそろ、あいつは食べ頃になったから、今夜喰ってやるか
なんてのはね。


 自分を食う順序的なものがいないので、人間は万物の霊長などと言って、その食物連鎖の頂点を奢り高ぶっています。そして、人間さえ良ければ、いや、私さえ良ければと、ついつい他の命のことを考えもせずに毎日をおくっています。
私を支えてくれている一兆一匹の存在など、ついつい忘れて。

 もし、この食物連鎖がどこかで切れてしまうと、私を支えていくもの(ここではマグロ)が存在しなくなってしまいます。そのことは、つまり、私が存在する事が出来なくなると言うことです。

ここから、私達は何を考えていけばいいのでしょうかね。

 命を保っていくということは、人間だけではできない仕組みになっているのです。
  あなたなら、どう考えますか?


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