喪主 ご住職様、この度は良い戒名(法名のこと)を戴きましてありがとうございます。
住職 ?※?☆?≠?♂?
喪主 つきましては、戒名料はいかほどお包みすればよろしいでしょうか?
住職 ?※?☆?≠?♂?
何度説明しても戒名とおっしゃる方が居ます。真宗では法名というのです。でもきっと死後に名前を改めるということとして、改名という字を連想されているのでしようが、いくら言っても覚える気が無いのですから、馬耳東風です。
☆法名に良し悪しはない
何がどのように「良い戒名」と判断されるのでしょうか?住職にとってみれば、四苦八苦して考えて付けた法名なのです。良し悪しを何を基準に判断されているのでしょうか?
悪い法名など付けた覚えはございません。
こんな話が実際にありました。
法名を付けて欲しいが、以下の字は使わないで欲しいというのです。
汚・死・貧・悪・病・乱・蛇・欠・厄・弔・危・姦・屁・尿・糞・股 ・殺 etc.etc
まあよくもこんなに調べたものだというぐらいに30字ほどが列挙されていました。そんな字は用いないのに・・・。
法名を考えるにあたって、住職としては大変困ることがあるのです。それは一度もお目にかかったことのない方に対して、いったいこの方はどのような人生を歩んで来られたのか、あるいは歩もうとなされているのかがさっぱり見当がつかないのです。もう全くお手上げなのです。
次に困るのは、無関心であった方です。
法名には、「願い」がこもっています。それは我が子の名前を付けるときに、親は「このような人生を歩んで欲しい」と願って付けるのと同じなのです。
例えば 釋篤信 と付けたとしますと、喪主は「父が篤信家で、信仰が厚かった」という意味にとらえられるのでしょうが、住職にしては、「あなたは生前、信仰に薄く、教えを聞こうとしてきませんでした。信を篤つく(あつく)しなさい」という意味である場合もあるのです。つまり、捉え方が全く逆なのです。
釋篤信 という法名が有難いのか、痛烈な批判なのか。
有難い法名だとか、ナントカカントカと評価して戴く筋合いは毛頭ないのであります。
☆お金を云々されると困るのです
お葬式はおいくらですか? 法事はおいくらですか?
どうしてそんなに金額が気になるのですか? お葬式や法事のお布施に金額は付けていないのです。つまり、希望小売価格がないのです。オープン価格なのです。
だから余計に、いくら包めばよいのか解らないのでしょうねぇ。
金額の目安が知りたいのは、
①世間並みの金額を包みたい。
②出来ればなるべく少ない方がよい。
③よって、平均値が知りたい。
というのではないかと思える節があるのですねぇ。
しかしそれは理屈からいくと不自然なことになるのです。お布施というものは、そもそもご本尊に対するお供えなのでして、お供えというものに定価があることは、仏教説話の「貧者の一灯」と相反するのですねぇ。
月収100万の方の50%は50万 残りは50万
月収10万の方の50%は5万 残りは5万
残りの金額はからみると、前者は余裕綽々、後者は・・・・。
同じ比率であっても、その価値が違うのです。
例えば、お布施を10万としますと、何だ、そんな金額か という方も居れば 大変だ という方も存在するのです。
住職もよく見ているのです。余裕のある方はどっさり包まれたら良いのです。
法事で、大層なご馳走が並び、粗供養も奮発して、酒だけは充分用意しております などと言い、大変な宴会にをされる方も居られます。でも、住職のお布施は、それほど大した額ではありません。 シャンゼリゼのカフェテラスでのバイオリン弾きのチップと勘違いされているのでは・・・と思うことも・・・。 親戚の慰労会に、場違いな坊主がやって来たみたいな雰囲気ですなぁ。
法事は食事が主体なのですか? 仏事が主体なのですか?
☆住職はお経の唱え屋ではないのです
仏具屋さんがこのように言いました。
石碑屋さんがこのように言いました。
住職 ?※?☆?≠?♂?
でもねぇ、仏具屋さんにしても石碑屋さんにしても、必ず正しいかというと、そうではないこともあるのです。住職の言うことは全く聞く耳を持たずに、仏具屋さんや石碑屋さんの言うことを信用される方が時たまにあるのです。つまり、住職は信用されていないということになりますねぇ。私の浅はかな経験から思いおこしますと、決まって一見さんなのです。本屋さんで『冠婚葬祭物知り本』などを読まれて、住職はお経の唱え屋と思っておられるのかも知れません。
法事の日時まで指定されるのです。
○月○日の午前11時からお願いします。
あんた一人のために待機してるのではござんせん!
他所のお寺はどうか知りませんが、宗玄寺に至っては、一応の日程(法事の時間割)があるのでして、3科目は必須科目でして、省略すると単位を与えることは出来ないのです。
法事を受けるあなたの方で勝手に決めてもらうのは筋違いです。
ところが、どうやら、
坊さんは、儂の言うとおりにしてくれたら良いのだ。
と思っていらっしゃるのですねえ。それでは真宗ではなくて、あなた宗なのです。私が出かけて行く必要はこれっぽっちも無いのです。こと法事に至っては、お斎(食事)までは住職に占有権(責任=仏法を伝えるということ)があるということをお忘れなく。
仏法の出前をすることに、根本的なボタンの掛け違いを発生させているのでしょうねぇ。
☆早く帰る坊主は良い坊主
お経が済んで、法話をし始めると、やたらソワソワと時計を見たり、お布施をモソモソしたり・・・。つまり、お後の行事(宴会)が気になるのですねぇ。
かつて、ハナ肇とクレイジーキャッツというグループがありまして、植木等がボーカルだったのです。(因みに、植木等の父、植木徹誠さんは浄土真宗の僧侶でした。とても有名な方ですから、どんな方であったかは、インターネットでみてください)
その数ある歌の中で、
こりゃまた失礼いたしました。
というセリフが出てきます。
私でなくても良かったんですよねぇ。お経さえ唱えてくれれば・・・・。
☆戒名の付け方の手引き書
どこで見たのか忘れてしまったのですが、『法名全集』みたいな、立派な装丁の本を見たことがあります。でもこんな本を開いてみても、何の参考にもなりません。その方に合った法名を付けさせていただくのが住職の精一杯の法施なのです。
そして、我が書斎にもあるのが『真宗 葬儀法要 法話実践講座』。なるどでかい本です。住職に成り立ての頃、何かの参考になるかもと買い求めたのですが、こんなものは何の役にも立ちませんでした。つまり、お一人お一人が違う人生を歩まれているのですから、ピタゴラスの定理のように画一的にはお話しが出来ないのです。
役に立ちそうで立たない迷著ですなぁ。
因みに、かつて、『無縁慈悲集』(浄土宗系)とか『禅門小僧訓』(禅宗系)とかの「お葬式の手引き書」(?)が存在していまして、これには身分によって戒名(法名ではありません)の上の置き字と下の置き字の付け方が解説してありました。身分によって一目瞭然の置き字を使うわけですから、人権上大変問題があるとして、回収破棄されましたが、その元本となるものは大学の図書館に「資料」として保管されています。
それは『貞観政要格式目 僧官』というものです。
初版は天文8年(1539)といわれています。 これも上下の置き字の区別が記されています。いつの時代もお坊さんは戒名を付けるのに苦労したのでしょう。
私が研究のために『貞観政要格式目 僧官』を閲覧したのは、京都大学と龍谷大学の分でした。
『国書総目録』は国初から慶応3年までに刊行された日本人による著作、編集、翻訳した書籍(国書)が、全国のどの図書館や文庫に所蔵されているかを記載した全9冊の総合目録です<中之島図書館HPより引用>が、この中に、全国で17箇所に保管されていると記載されています。(静嘉堂文庫・宮内庁書陵部・京都大学・龍谷大学・栗田文庫・国立公文書館内閣文庫・高野山金剛三昧院・神宮文庫・お茶の水図書館成簣文庫・金沢市立図書館大島文庫・愛知教育大学・筑波大学・東京大学・東北大学狩野文庫・実践女子大学・高野山持明院・成田図書館)<閲覧の可否は確認していません>
真宗ではこの『貞観政要格式目 僧官』を参考とした「手引き書」は作られていないと聞いています。代々住職が苦労して法名を考えてきたのでしょうが、それにつけても迷著が存在するのは、それを求める方がいるということでしょう。
人間とは、本能の壊れた生き物 だそうです。
本能とは同類をいたわり合うことを持っています。
決して、自分さえよければということを本能とは言いません。
真宗って小難しいことばかり言うようでしょうねぇ。
でも、750年もそのように真宗門徒であったのですから。
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