葬式についてのこだわりがある。それはお手伝いのしかたである。
葬式があると、近所のいわゆる「隣組」かお手伝いに行く。都市部はもうそんなことはないそうだが、田舎はなかなうるさい。とにかく食事のお世話をすることが一番の大役である。
ところが、それが実に大変だということは、手伝いに行っている人自身の声である。
何やら自分たちの食べる物を作りに行っているみたいな感じがする
というのだ。手伝っているのか、迷惑を掛けているのか、よくわからん昔からの風習があるようだ。
そもそも、葬式の手伝いというのは、当家では悲しみに浸っている最中に、バタバタと家事をしなくてはならないのは大変だから、葬式は誰も経験していかねばならないことだし、みんなで助け合おうというところが原点であったはず。
だいたい、葬式を出す家の家族というのは、最後の看病に、お通夜にと、身体を休めることもなく、睡眠不足も重なって、くたくたになってはいるものの、気持ちだけが支えで葬儀の日を迎えている。
葬儀が何とか済んで、その夜は「精進あげ」とか「仕舞い」などと、お手伝いに来てもらった方々を、当家が接待をするそうだ。(もちろん、その時の食事は、ちゃーんと手伝いの人たちが昼の間に作っているのだが)
酒をついで回り、バタバタと動き回るのは当家の人々である。
どうもその辺の気持ちというのが理解できない。
びっくりしたなー。というのは、
葬式の手伝いでは、巻きずしを100本巻くことになっていたのです。今は50本ですけど
なんで巻きずしなんや?
巻きずしやったら、おかずがいらんということやそうです
そらたいへんやなー。巻かんと、チラシ寿司風ではあかんのか?
いまは、その他におかずも作ってますし、おにぎりも…
そもそも葬式の手伝いというのは、当家の人たちが「何をして欲しいのか」ということをよく考えて、悲しみと疲れにどっぶり浸かっている人たちのことを考えた手伝い方をするべきだと思う。
私は、
お手伝いのみなさん大変ご苦労様でした。今日は早めに帰ってあげて下さい。家族の方は、ゆっくりお風呂に浸かって身体を休めて下さい。
と言うことにしている。
もう20年も前の風習でした。今は全部葬儀社に注文しておけばお弁当の手配もしてくれますから、お葬式の手伝いということ自体がなくなってしまいました。
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