お墓の改修や処分をする時によく依頼されるのが「お性根抜き」という儀式です。
真宗ではお性根を入れたり抜いたりということはしないのです。
と、いくら頑張っても聞き入れてもらえないです。
みんなは本当にあの石塔の中に先祖の霊というのかお性根というものが入っていると真面目に考えておられるのかどうか、どうも不思議なのです。
真宗聖典というものの中には、お性根を入れたり抜いたりする為の儀式に用いるお経や偈文は全くないのです。そして、儀式の中にもそんな儀式はないのです。いわば習俗として、もっとはっきり言ってしまえば気休めに行っているに過ぎないのです。
改修する為にお性根を抜くと、そのお性根は改修期間中はどこに滞在しているのでしょうか?。
あるいは、もう不要になったお墓を処分することもあります。つまり家系が絶えてしまって、お参りする人がいなくなり、遠い親戚が、
もうお墓をなくしてしまいます。
などという事もあります。その時も決まって
お性根を抜いてください。
と頼まれるのです。
抜けたお性根はどこへ行ってしまうのでしょうか?。私ゃ持っては帰りませんぞ!。
偈文を唱えている私にしてみれば、お性根が入ったり抜けたりするということを全く信じていませんし、シャーマンでもないのです。手品であればタネがあるのですが、お性根ばかりはタネも仕掛けもないのです。
宗教と迷信をごっちゃ混ぜにしている方の気休めに、私はお性根抜きなる奇怪極まりない怪しげな儀式を強制されるのです。石を拝んで何になるのでしょうか。
時々石材屋さんが言われることもあるようです。
お墓をさわる時は坊さんにお性根を抜いてもらってください。そうでなければ工事は出来ませんから…。
と、おっしゃるようです。
お墓はご先祖様が眠っておられる所であり、拝む対象物なのですが、いざ手を加えるとなると、
何かの祟りが起きるのではないか? 穢れるのではないか?
ところがどっこい。当の坊主はそんなことは至って無関心でして、
アンタの気休めに付き合わされて…。わしにそんな呪力があるかってんだ!。
と思いながらやっているのだから、可笑しさの突き当たりみたいなものなのです。
お墓を新調したり仏壇を買ってきたら、真宗では開眼法要とかおわたましという事をします。
「性根を入れる」と言う限りは、やってる思いは何も変わらないのです。
これから私が手をあわす場所です。
と、お墓を建てたり、お内仏を新調した人に性根を入れる訳です。建てっぱなし、買いっぱなしでは、なんとも言いようがないわけです。
草場の陰??
そんな殺風景な所はまっぴらごめんです。

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