法名・戒名

葬式になると、つい気になることは法名・戒名である。それについて私のウンチクを・・・・。


 法名・戒名とは、そもそも佛弟子になったという名前である。死んだら付けてもらう名前だと思っている人もたくさんある。大きな間違いだ。 
 法名をつけてもらうということは、仏法の教えを自分の生活の中心にすえて生きていきますとの名乗りを上げることである。死んだ時につけるのは、生きている間に果たせなかったから、仕方ないから葬式の時に付けるというだけで、本来は生きている間にもらう名前である。

 戒名とは、仏教の教えの中に、いろいろな戒律がある。酒を飲むな、盗むな、悪口を言うな、エトセトラエトセトラ。10や20ではない。ものすごいほどある。
私なんかはその一つとして守ることは出来ない。

 戒名は佛の教えを守っていきます。当然戒律も守っていきますという名乗りをした人に与えられる名前である。

 仏教を自分の生活の中心にして生きていくということであれば、当然戒律を守るのもその中に入る訳だから、戒名が付けられても、これまた当然。

 残念にも生きている間は戒律を守ることが出来ないから、死んだ時に付けてもらうことになる。死んだら悪口も言えなくなって、戒律を守らざるを得ないからかもしれない。

 法名も戒名も、本来は佛の教えを守っていこう、生活の中心にすえていこうとの願いを表明するための私の名前であるから、生きている間に付けてもらうものだと思う。仏式の葬式で法名や戒名がいらないと言う人がいるが、それはどうも。いらないなら仏式で葬式をなぜするの?。


法名や戒名の長さ、つまり字数をとても気にする人がある。真宗の法名は基本的には釋○○という三文字である。
 戒名は九字戒名とか十字戒名とかいろいろあるそうだが、△△院□□○○居士(大姉など)などといっても、詰まるところは○○という二文字であるそうな。
 △△院は院号、□□は誉号、居士は位号と言うそうな。いくら長くても戒名は○○の二文字だけ。やれ戒名が長いの短いのとゴチョゴチョ言うことよりも、要はその人の中身。
    戒名は葬式の時のステータスシンボルではないのです。


 院号というのはなかなか厄介である。無縁慈悲集にも出てくるが、なにせ身分のある方につけたとか。院殿というのもある。昔の大名に付けたそうな。

 仏教というのは困ったやつで、いつも時の権力者にへつらい、金や権力には弱いらしい。そもそも、日本に仏教が伝わったのは、信仰ということではなく、朝廷への献上物として渡来したというではないか。そして、出発は国家鎮護であったという。 よって知るべし。

 さて、院号を依怙贔屓(えこひいき)してみると、その寺の別院としての格だそうな。それだけ信心のあつい人に付けるのだそうな。また、戦前戦中は戦死者には必ず院号を付けたそうな。いわく「忠烈院」、「彰国院」など戦意高揚の意味と戦死された方へのある種の感謝のための院号である。

 ところが、一方でえらい迷惑をしている人もあるそうな。昔は羽振りが良かったので院号を付けてもらったが、今はそうはいかない。しかし、お寺の分担金は院号があるかないかで高低の差があるところもあるらしい。
院号を返上したいという人もあるそうな。
 まあ、平たく言ってしまえば、院号は本来の仏教的なものではないので、見栄といっては失礼かな?。


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