根拠があって無いような・・・・。あまりこだわらぬ方がよいことが多い。そんな中で、チョイチョイと耳にする忌みごとを、つれづれなるままに書いてみた。
北 枕 北枕で寝るのを嫌う人があります。それは、死人を寝かすのに北枕だからということだそうです。では、なぜ死人を北枕にするかということですが、お釈迦様がお亡くなりになったとき、「頭北面西右脇に臥して・・・・」と伝えられており、つまり「頭を北にして、顔を西に向け、右の脇を下にして」横になられたということです。仏教徒はお釈迦様の例にならって、亡くなったとき、北の方角に頭を向けるようになりました。
一説には、地軸の方向に従って寝ると良いとかと言われる方もありますが、部屋の向きとか、ベッドの置き具合など、要するに安眠できる方向が良いと思います。私など、年がら年中「北枕」で寝ています。
渡し箸 箸から箸へと、タクアンなんかを人様(家族)につまんで渡すのは「縁起が悪い」と嫌われます。現代風に言うと、衛生的にはどうかな?とも解釈できますが、実は火葬場でお骨を拾うときに渡し箸のようにするのだそうです。だから、火葬(死)を連想するからでしょう。
そもそも、この渡し箸はどうして火葬の時にするのかということが、古い文献に出てきます。
「親の遺骨を、兄弟が相争って挟みあうのは孝の極みなり」と孔子の言葉(本当かどうか?)が引用されています。まあこじつけもいいところでしょうな。
違い箸 他人の箸と自分の箸を混ぜて(つまり一本づつ違った箸を使う)のを嫌う方がいます。これは、やはり火葬のお骨拾いの時のことを連想するからです。古い文献に出てきます。収骨のとき、なぜ竹と木の箸で骨を拾うのかと。いわく。「一木一草ことごとく仏性あり。よって木と竹の箸により骨を拾うなり」と。近代的な斎場でも、竹の木の箸が用意されているところもあるようです。
まあこじつけもいいところでしょうな。
しかし、太さや長さの違う箸を使って食べるのは、何とも箸捌きが不自由で、現実には使いにくいものですが。
左 前 着物(和服)を左前に着るのをとても厭がります。それは、死人に着物を着せるには左前(逆)に着せるところからの連想でしょう。普段あってはならないこと(死)が起こったのだから、普段やっていることの逆をするということでしょうか。逆さ屏風というのもそうしたことでしょうか。
しかし、着物を自分で着られる方が随分少なくなってきました。ずっと以前のことですが、私の町のイベントレディーが和服(和服の作業衣)を着て、いざ出陣というところ、襟元を見ると、何と彼女は左前に着ていました。もう時間がありません。幸い、胸元より裾の方まで前掛けがありましたから、要は襟もとだけ。豆絞りの手ぬぐいを襟にしていたのを右前にして、とにかくごまかしてしまいました。まあ、女性の洋服はそもそも左前ですから・・・・。
商売がうまく行かないのを「左前になった」というのも、こうしたことからの引用かもしれませんね。
でもねぇ、女性の洋服は左前なんです。これは、豪華にドレスは自分で着ることができないで、誰かに着せてもらったんです。着せやすいように左前になったというのですよ。私ゃ脱がせやすいように左前になったと思っていた。(^^)/~~~
差し湯 お湯を冷ます(適当な温度にする)方法に二通りあるそうだ。一つは熱いお湯に除々に水を差して、かき混ぜながら適温にする方法。もう一つは水にお湯を差しながら適温にしていく方法。どっちがどっちだったか忘れたが、一方の方法は「湯灌」の時にする方法だという。間違うと大層叱られたことがあった。
今や、コックの捻り具合で適当な温度の湯が出る時代になった。
たぶんこれも、普段とは違う方法での冷まし方を「湯灌」の時にするということであろうか。
通り抜け 子どもの頃、余所の家に遊びに行って、入っていったところと出ていくところが違ったり、表から裏へ通り抜けると、よく叱られたものである。通り抜けると福が通り抜けるということで嫌がられたのだろうか。どうもさっぱり解らない。
縁側からの出入り 縁側から出入りするとよく叱られたものである。縁から出入りするのは坊主と猫の特権?のようであるが、実は、葬式の時に棺桶を担いで出るのは確かに縁側からであった。玄関からは出さなかったなー。
そういえば花嫁さんも玄関ではなくて縁側から入ってきたなぁ。式台がないから縁側を使ったのだう。花嫁さんは、生きてこの家から出ることはないとの堅い決意の表れの所作だったと聞くが。
座敷で履き物 子どもの頃、新しい靴を買ってもらうと、嬉しくて、座敷で履いてみた。ゴムの匂いが何となく心をウキウキさせたものだ。しかし、すかさず叱られた。座敷で履き物を履くものではないと。そうそう。確か出棺の時は、座敷で履き物を履いておかないと、棺桶を担いで庭先に出るときに具合が悪い。
しかし、今や廊下などではスリッパを履いている。廊下は座敷ではないからか。いやそれどころか、畳の上でもスリッパを履くお家があった。私など時々、便所スリッパのままあちこち歩き回っている事がある。慌てると、とんでもないことをするのだ。
鉢物のお見舞い 病院へのお見舞いは気を使う。お花をお見舞いに持っていくときには、鉢植えの物は嫌がられるのだそうだ。つまり根づく=寝づく というわけだ。お花も長持ちするというのは、病気見舞いではダメ。病気が長持ちしては困るから。???。
水引の差し方 慶事と弔事とでは熨斗袋の水引の差し方が違うのだそうだ。慶事は上から、弔事は下から、だったか?。とにかくこだわる方がある。どっちから差し込んでも、要は中身が入っていれば・・・・。
身の回りには科学的根拠のない習慣やマナー?がたくさんあって、それに振り回されている。
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