時たま、寺の本堂で葬儀が行われることがある。
都市部では、「斎場」とか「メモリアルホール」などが利用されるが、田舎でも、近年は住宅の間取りなども影響し、また、親戚の数が多いと、なかなか自宅葬をするためには場所の確保が大変である。
そうした場合、近くの自分の所属する寺や、あるいは、その寺の檀家ではないけれど、寺を斎場として利用する場合がある。篠山市内でも、寺の他に、地域の公民館(町内自治会館と言われる建物)も利用されるようになって来た。
ところが、度々電話が掛かってくるのである。住職一家は、葬儀を受け入れるために本堂や境内の準備で大わらわの中、
「宗玄寺さんですね。明日、○○さんのお葬式がお宅で行われますね。住所は○○でよろしいか。何時から始まりますか。」
という内容である。
「何のために訊ねられるのですか」
と聞くことにしている。
尋ねる理由は
大きなお葬式の場合、親戚や関係者の振りをして、香典やお布施を失敬するのを専門にやっておられる方が時々あって、我が寺でも過去に二度ばかりお越しになられた。親族のハンドバックは開けられ、坊さんが頂いたお布施も根こそぎお持ち帰りになられたのだった。そんなわけで、訊ねている意図をまず伺うことにしている。
ところが、実は真面目に訊ねられている内容なのだが、そんなことはお寺に(会場)に訊ねなくても良いことである。
相手が知りたいのは
①何時から始まるか?
②弔電を打ちたいので住所番地が知りたい。
この二つである。ところが
①については、喪主の家に訊ねれば事足りるのである。前日には何人かの家族か親戚が留守番として在宅しているのであるから。家族や親戚が、葬式の始まる時間を知らないなんて事は絶対にないのだから。
②については、なにも会場宛てに発信する必要はない。どうも弔電というのは、式の始まる迄に会場に宛てて発信せねばならないものと思いこんでいるみたいだ。
葬式があることを知ったら、前日であろうと、喪主やお悔やみを申したい人に宛てて、その方宛てに発信すればよいのだ。
会場に宛てて、それこそ受付でとりまとめて貰って、弔電披露をして欲しいからか? 弔電などというものは、仰々しくマイクを使って披露すべきものではない。参会者にとっては、何の意味も持たないシロモノである。
「ご尊父様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。何の誰兵衛」という内容で、しかも宛名は、亡くなられた家族の特定の方に発信されたものである。参会者が聞かねばならない事ではない。弔電披露なんて、いらぬお節介の極め付きみたいなものだ。
よく聞いていると、「○○商事株式会社社長」・「○○商事株式会社営業部次長」・「○○商事株式会社営業部一同」などと発信人が出てくれば、「息子は、○○商事株式会社の営業部長か?」と想像がつく。結構な就職先の身元調査だ。それにそんなに肩書や自分の立場を披露して、親の葬式にまで見栄を張りたいか?
弔電を打ちたきゃ、相手の自宅へ打てばよい。
そんな電話の相手をしてる閑なんて無いのだ。
町内会館なら、電話の無いところもあるぞ。
そしたら、わざわざ導師をする寺まで掛けて来よる。そこまで探して掛けてくるなんて、よほど閑な会社か? いや、どの寺で葬儀をするかなんてのは、ちゃんと家族から聞き出しているはずだ。
傑作というか、とんでもない人がいたなぁ。
本人が葬儀に参列し、喪主にお悔やみの挨拶をしておきながら、弔電を披露して貰っていた。だいたい、弔電というものは、本人が出席出来ないから取り急ぎ弔意を表すために発信するのであって、本人が出席するのであれば、披露なんて、まさに売名行為としか受けとれんなぁ。
弔辞を読んで、焼香をして、みんなによく見える場所を確保し、そのうえに弔電の披露をして貰っている。
弔電とは何のために打つのか知らないで打っているのだから、おめでたも正月を通り越しているねぇ。
弔電披露があるときに、よーく聞いていると、必ずと言っていいほど司会者の前置きの言葉がある。
「多数の弔電を頂戴しておりますが、順不同でご披露申し上げます」
という意味あいである。
しかし、読み上げられる順番は、決してランダムピックアップではない。ちゃんと順序があるのだ。順不同で読み上げるのならば、トランプゲームの時のように混ぜくり返してから一通づつ拾い上げては如何なものか。現実はそうではない。ちゃんと肩書きで判断して順序が決められている。司会者の言葉は慣習を守って、結果的にはウソを言っているのだ。
おまけ
「役付け」なるものがある。親族で「役付け」を決める時にもめることがあるそうだ。「役が軽い。役が重い」
「役付け」とは、葬式の行列をするときに、「あんたは○○を持ってくれ」という配分である。最近は火葬になってきて、しかも、霊柩車で遠くの火葬場へ行くのに、旗さしもの、天蓋、など、あんなものは持って行かない。いや、持って行けないし、持って行っても始末に困る。じゃ、必要ないのに何故「役付け」が必要なのか。
あるところでは、「持ったつもり」なのか、品物の名前を書いたカードを渡していた。なんと滑稽なことか。そんなことで親族がもめる必要はさらさらないのだ。
焼香順の名前の読み上げがある。坊主が一生懸命にお経をあげているのに、マイクを使って名前を読み上げる。
これも「順序が後だ、いや、先だ」ともめる元になっている。そして、予想してない人の顔を見ると、慌てて書き加えねばならないし、その間がないと、名前を読まないでしまう事になる。
「せっかく葬儀に来ているのに、俺の名前がなかった」と、いささか不満が出てくる。
焼香なんてものは、喪主から順にすれば良いのだ。
要らぬことは最初からやめとけばよい。
「ただいまから、喪主様から順次ご焼香となります」
と案内すればよいのだ。だいたい、どこで焼香すればよいかぐらいは常識で知っておいたらよいことだ。
「この間、友人の葬式に行ったら、焼香がまだ続いているのに、お経が終わってしまって、坊さんは、ナンマンダー ばっかり続けとったが、どうなんですか?」
と尋ねられた。
ご親切に、お答え申し上げた。
「坊主が葬式でお経をあげるのは、焼香のBGMとしての効果のためではないのだ。
だいたい焼香というものは、本来は、お経が済んでから、ゆっくりやったらええんとちゃうか?。焼香に合わせてお経の長短をつけるなんて事が、そもそも間違っとるなぁ。」
2000年頃のアーカイブス