戒名料は高い?


あまりに高額 戒名料に疑問
(無職 ◆◆市)       ●●● ●● 67歳
 ▲▲▲▲さんの発言「葬儀費用はなぜ高いのか」(七月十六日付)を拝読し、数年前に亡くなった伯父の高額な戒名料、僧侶の不可解な言動を思いだした。
 悲しみに沈む伯母に、僧侶が戒名つくりを打診した。伯母は戒名のランク、相場も知らず、「お任せします」と答えると、僧侶は即座に「百万円で、どうですか」。
 伯母は余りの金額に仰天したが、結局、相談の末、五十万円に値下げしてもらった、と聞いた。
 戒名料はなぜ高く、だれがランクを決めるのか。また、仏になった人の死後まで、金額の多少で差別する不条理。あの世も金次第・・・。そんなばかな話はあるまい。
 葬儀や戒名に高い費用をかけるのは、単なる自己満足で愚かと思う。要は、真撃(しんし)に弔い、成仏を祈念する真心が大事である。僧侶は亡き人を安らかに冥途(めいど)へ導く責務を担う。一方、最高の人格者と自覚し、真の宗教、信仰とは何かを諭し、僧職を天職と認識すべきであるまいか。


 これは、2002/8/1神戸新聞の発言」欄に掲載されていたもの。個人の名前は伏せ字にしたが、新聞を取りだして見られると、実名投稿である。

 が、私はこの投稿に反論を加えていくことにする。


 そもそも「葬儀」とは、宗教を人生を送る心棒として宗教をとらえ、同じ教えに出合った人々が、この世での出会いに思いをいたし、「あなたと出会えて良かったねぇと」この世でのお別れをしていく宗教的な「ケジメ」なのです。決して「死骸処理のマジナイ」ではないのです。葬式をしなくても手続きさえすれば斎場で焼却してくれます。寝台車代と棺桶代と焼却代を合わせれば数万円で可能なのです。
戒名とはどういうものか?
 寺(ほかの檀家や信者の共同体に対して)への貢献度や信仰心などに基づいて、あるいは仏教の戒律を守って生きていく宣言をした人に対して送られる仏教の「信者名」なのです。亡くなったから付けるというものではないのです。まして「死後の改名」ではないのです。


①「葬儀費用」を高くしているのは、遺族自身にも起因するのです。葬儀社のランク付けの祭壇、僧侶の数、香典返し、満中陰返し、目を見張るご馳走・・・。全ては、遺族の見栄と世間体とによって、不承不承にも遺族が受け入れてきた結果もあるのです。

②「戒名料」などというものは、本来仏教にはないのです。何某かの感謝の意味を含めて寄進(布施)されていく種類のものです。読経料などと書いては、それこそ商売。値札が付いていないと納得しないとこだわっているのは遺族なのです。宗教行事は商売ではないのです。

③戒名の字数が多いとか少ないとかにこだわっているのも遺族そのものです。いくら長い戒名?でも、戒名と言う部分はわずかに漢字二文字なのです。あとは誉号・位号などと言われる部分なのです。字数が多ければ良いというものではないのです。

④そもそも「戒名」とは「仏の弟子になって、仏教の戒律を守った生活を送っていく」という人に授けられる仏弟子としての名前なのです。死んでから授けられても本当は意味のないものですね。戒名とは、あの世へ行くための改名ではないのです。

⑤「人は死んだら仏になる」とは限りませんね。そんなに甘く考えないで下さい。「諸仏の仲間になる」とは聞きますが、完全無比なる存在である「仏」になれるなんて、傲慢にもほどが過ぎませんか?

⑥このような事をおっしゃる方は、生前に寺へは参ったこともなく、仏事に参加したこともなく、真摯に仏教に向かったということもないと私の実体験から推測してしまいます。キリスト教では毎週家族で教会へ行き、ミサに参加し、そして多少の寄付を続けていきます。収入の2割は宗教へ使うといわれています。

⑦「僧侶は亡き人を冥途に導く責務がある」。びっくり仰天しますね。そんな魔力は持ち合わせていません。冥途へ導かれる「因」は、「亡き人の生きざま」なのです。責任転嫁もいい加減にしてください。因みに「冥途」とは「暗闇の世界」ということです。そんな所へ行きたいのですか? 遺族や僧侶が祈念したからって成仏できるとお思いですか?

⑧「僧職を天職とすべきです」。えっ?。なんとあなたのご都合論ですねぇ。天職としているなら、それを支えてあげるのはあなたの努めではないですか?

⑨僧侶を自分の都合で出前配達のように使っているのはあなた方ではありませんか? 僧侶の都合も聞かずに、○月○日○○時に葬式をしてくれ、法事に来てくれ・・・。 あなた一人の為に待機しているのではないのです。蕎麦屋の出前ではないのです。「○月○日に法事をもらいたいと思うのですが、住職さんの兀後はいかがですか?」とまずはアポを取るのが常識。

⑩あなたにとっては高額な戒名料だったようですが、亡くなられた方の一生分のお供えを、一時にまとめて請求されたのでしょう。何年、何百週生きておられたかから計算すれば、週にいくらのお供えになりますかね?。

⑪葬儀は何も僧侶の読経がないと出来ないというものではありません。生前に宗教と関わらなかった方は、無宗教で行えばいいのです。「にわか仏教徒」なんて、ちゃんちゃらおかしいのですよ。

⑫真の宗教とは、「私の願いが叶う」という利己満足を達成させるものではないのです。

⑬僧侶は葬式の焼香のBGM係ではないのです。
 葬式が高くつくようにして行ったのは、あなた達にも一因があるのです。派手で、見栄ばかりに気を使い、気がついたらとんでもない事になっていたのです。


寺を維持し、聞法の機会を作り、仏教の教えに出会うため、寺の檀家はみなさんが協力してがんばっておられます。普段のお付き合いはまっぴらゴメン。葬式や法事だけやってほしい、というのであれば、それは誠に勝手な「あぶらげをさらう鳶」に匹敵しませんかね。 

 因みに、私は今まで一度も「お布施の金額」を提示したことはありません。「どうぞあなたのご自由に」と申し上げています。多くても、少なくても、みんな平等です。金額の低いお布施でも、その方にとっては大変な、身を切られる思いのお金かも知れませんし、高額なお布施でも、その方にとっては「痛くも痒くもない金額」かも知れません。金額は、ご自身で決められ、納得されて出されるものです。高額な金額を要求されたのは、それは、普段の生活ぶりから、あるいは一見さんとして、足下を見られたのかもしれませんねぇ。

 亡くなられた方のご遺骨を分骨してしかるべき宗教施設(本山など)に納骨する習わしがあります。永代経やお彼岸やお盆などの時に、どのように対応するかによって、納骨懇志金が提示されていることがあります。これをどうか思ったのか、「安いところを探した」というのです。「産業廃棄物を持ち込むには何処の業者が安いか?」と値切りにかかったのと同じですなぁ。とんでもない発想ですよねぇ。どこかの檀家として所属しているのであれば、その寺の宗教的な規範にたがうのであれば、離壇されれば良いのです。そしていつも一見さんとして、一時払いをされれば良いでしょうし、葬儀などという宗教的ケジメなどなさらなければよろしいのでは・・・。

 まあ、中には「教えより金」という僧侶がいないとは言えませんがね。

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