葬式についてひとつのこだわりがある。弔電披露である。
私の祖父の葬式は、昭和30(1955)年であった。そのとき、弔電というのは無かったように記憶している。
祖父は若い頃から郵便局で電信技師をしていたから、すでに電報というものはあった。ラジオから混信してくる「トンツー」のモールス信号を聞いて、一人ニャーっと笑っていたことがあった。内容がわかっていたのだろう。
電報ってのは
「チチキトク スクカヘレ ハハ」
ってのがせいぜいの普通で、
「カネオクレ ムスコ」
なんてのは随分後になってからだそうな。
弔電なんてーのはトンデモゴザンセンってとこだろう。
それがいつの頃からか、
「ゴソンプサマノゴセイキヨヲイタミツツシンデオクヤミモウシアゲマス」
てなものが届くようになった。
中には、
「ゴソンプサマノゴメイフクヲオイノリイタシマス」ってのもある。(冥福とはなんだ!!)
それをまたご丁寧に浪々と読み上げる。
いまだかつて、弔電の宛名が「ご参列者ご一同様」となっているのは見たことがない。
耳を済ませて聞いていると、ここのムスコはドコソコの会社のナントカいう部署のどんなランクかってのまでわかってしまう。
怖いことだ。葬式ってのは、家族の勤務先まで「身元調査」してしまう。
アリャリャーッと、びっくりしたことがある。
先ほど確かに一緒に並んで焼香した人の出した弔電が読み上げられているではないか。
そもそも、弔電ってのは、葬儀に駆けつけられないので、とり急ぎ弔意を表すためということではなかったか?。
本人が来ているのに弔電ってのは、いったいどうなってんの?。
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