六曜カレンダー


 兵庫県は今年の秋に国体が開かれる。その啓発カレンダーが随所に配布され掲示されている。何気なしに見ていて、「あれれ」と気づいた。ご丁寧に「六曜」がぎっちりと書き込まれているのです。 (2006年)


 世の中、「六曜」を信じている方はたくさんあって、目に角立てて書くほどのことではないかも知れないが、そもそも「六曜」というものは「占い」の一種である。中でも「大安」「仏滅」「友引」などは気を使っているようです。

 「六曜」を信じようと信じまいと、それは個人の勝手なのですが、そのことを他人に強制するようになると甚だ迷惑千万な事態が起こってくるのです。

 主人は会社が忙しく、休みも返上して出勤しなければならないこの頃ですが、今年七五三を迎える娘がいるので、少ない休日の中から日程を選んだのです。私達の選んだ日はたまたま仏滅だったのでした。
 義父は「仏滅だから他の日に休めるように社長に言え」と言い出し、一歩も引かず、主人は「そんなこと社長に言えるか」と大喧嘩になりました。
 今までも、お宮参りや出産や結婚などのお祝いのお返しを送る日までも「この日が大安だから送れ」と言い、体調が悪くても、「それが義理というものだ」という感じで…。

折角の娘さんの七五三参りも、とんだケチがついてしまったようです。


 迷信や占いなどは、自分一人が秘かに信じている内は良いのですが、こうもなると一騒動まで起きてしまいます。

 「六曜」というものは、そもそも明治になって暦の自由販売ができるようになったとき、暦屋さんが、「共引」を「友引」に、「物滅」を「仏滅」に字を替えて売り出したもので、日本では明治以降に大々的に流行していったものです。 折角の「文明開化/明治維新」を台なしにしてしまった一つです。日本の文化が縁起担ぎと語呂合わせが基本だとしたら、実に滑稽なことです。

 「六曜」の中での、「大安」・「友引」・「仏滅」などというものは、何の根拠もないものなのです。つまりは、

旧暦の□月△日を基に、(□+△)÷6 という数式で、整数の余りが
    0であれば「大安」 (割り切れる時)
    1であれば「赤口」
    2であれば「先勝」
    3であれば「友引」
    4であれば「先負」
    5であれば「仏滅」

というだけのことなのです。


 これを仰々しくカレンダーに書き込むと、さも曰わく因縁がありそうに思ってしまうのです。そして結果的に迷信や占いを啓蒙していることになるのです。個人商店のカレンダーならいざ知らず、行政機関の啓発物としては何とも賛成いたしかねます。

 亡くなった妻の母の敬老のお祝いを思い出します。

 平成14年(2002年)に篠山市からの白寿(満99歳)の祝賀に、9月15日敬老の日(仏滅)に市長さんが来宅され、祝詞の日付は「平成十四年九月敬老の日」となっていました。
 翌年、平成15年(2003年)には、満百歳以上のお祝いにと、9月15日敬老の日(友引)に市長さんが来宅され、祝詞の日付は「平成十五年九月敬老の日」となっていました。 この年、内閣総理大臣小泉純一郎名での祝詞を頂きましたが、その日付は「平成十五年九月十五日」と記されていました。
 兵庫県はちょっと変わっていまして、平成15年(2003年)に百歳のお祝いにと、銀杯と花を添えて県民局長さんが9月18日水曜日(大安)に来宅され、祝詞の日付は「平成十五年九月吉日」となっていました。

 丹波県民局管内には百歳を迎えた方がたくさん居られるので、敬老の日だけでは回りきれないから、後日になっても支障のないように「吉日」と表記されたのかとも思ったのですが、兵庫県の9月のカレンダーには「吉日」という日が別にあるのだと思いました。
 小泉さんの表記の仕方は実に簡明正解ですし、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝うため」、敬老の日を設け、国民の祝日とされていますから、篠山市長の日付の表記も当を得ています。曖昧模糊として前近代的なのは兵庫県の表記の仕方です。

(当時は9月15日が敬老の日の祝日となっており、日曜日と重なった場合は、翌月曜日は振り替え休日となっていました。現在は9月の第3月曜日を敬老の日と定め、国民の祝日となっています。)

 「吉日」ということを何の気なしに言いますが、あなたにとっては「吉日」かも知れませんが、私にとっては「凶日」であることも・・・・。

 「吉日」も「六曜」も、たとえ社会の中に蔓延している迷信であっても、行政機関がそのことを容認し、啓発していくようなことは如何なことか思います。社会は確実にそういうものを信じない方向に着実に歩んでいるのですから、社会の情報をしっかりと収集してリーダーシップを発揮して欲しいものと念願します。「吉日」や「六曜」にこだわるのが兵庫県の慣例/前例であるなら、それを打破していくことです。慣例/前例のしがらみからは、展望ある施策を探し出す職員気質は生まれないからです。

旧ホームページからの移転

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました