考えてみようではないか!

戦争

 世界中で新型コロナがパンデミックを起こした頃から、ニュースに出て来るのものに、あまり良いものはない。典型的なのは「戦争」。21世紀になっても、この地球上でこんな戦争が起こるとは夢にも思っていなかった。

 人間は自制心を持って「対話と外交努力」で物事を解決していくであろうという儚い想いを持っていた。しかし ウクライナではもう1年も戦争が続いている。出口はあるのだろうか。

 戦争や災害が起こると、決まって社会的弱者である老人や女性や子どもたちが被害者になっていく。人間はいつになったらこの過ちに気がつくのであろうか。

 ことあるごとに法話でお話をすると、聞いている人はうんざりした顔をして、「またあの話か」と拒絶反応を見せてくれる。
 よそごとだと思うからこんな話は嫌なんだろう。自分の身内が戦争の犠牲者になり、親が、子どもが亡くなって行くことになった時に、果たしてそれでも嫌な顔をするのかなぁ。

 人間はどうして歴史を繰り返すのだろうか。幸せに、手を取り合って生きていこうという道を選ぼうではないか。

強盗

 日本では長らく強盗という言葉を聞くことはなかった。窃盗とか詐欺とかの犯罪はよく聞いていたが、まさか SNS などを使って、人を集めて強盗を働かせるというようなことが起こるとは、これまた夢にも思ったことはなかった。

 強盗というのは時代劇に出てくるような感覚でしか見ていなかった。なんでこんなことが起こる世の中になっているのであろうか。

 犯人を知っている人が、「優しい人だった」と述懐するが、自分の身の上にひとたび何かが起こってくると、人間というものは分別を忘れて、他人を傷つけてでも自分の利害を優先しようとする生き物なんだなと、つくづく改めて思うのである。

児童虐待

 そんなニュースの中に埋もれつつも、決してなくなっていないのは「児童虐待」である。生まれて間もない自分の子供を殴ったり叩きつけたりして死に至らしめているお母さんがいる。とても考えることができない。「我が子のことであっても、背に腹は代えられない」のだろう。

 中高生の「無差別犯罪」が発生している。事件が報道されると「真似」てみようと思うのか「誰でも良かった。殺してみたかった」という。

 根本的に社会の考え方に「いびつなもの」が広がっているのではないか?。そんなことを考えざるを得ない。

不正が暴かれる

「一党独裁」と言うが、少数のグループが大きな権力を握ると碌なことがないのは歴史が教えている。第二次世界大戦が終わって、日本では財閥解体というものが行われた。それから70年。財閥は復興し、国会中継を聞いていると、利に叶わない「屁理屈」の答弁が繰り返される。「白を黒」と言いくるめてしまう力量がないとリーダーにはなれない国なのかも知れない。

 2020年のオリンピックはコロナで1年延びたが、「ぼったくりバッハ」と言う言葉が出現し、裏では大きな利権がうずまいていた。今、事実が暴かれようとしている。中途半端に終わらせるのではなく、忖度されることなく真実を暴くべきである。

人間というものは

 「人間というものは、自分にとって都合のよいことは大好きで、自分にとって都合の悪いことは大嫌いと言いながら生きていく生き物である」という話を聞いたのはもう随分昔のことであった。

 今年お正月に、あるお寺に貼ってあったカレンダーに書かれていたことを思い出す。

 云わなくてもわかる人
 云えば分かる人
 云ってもわからない人
 云えば文句をいう人
 はじめから聞こうとしない人

という言葉が書かれてあった。

これを見て「うーん」と思った。
現実の社会の中には、この文句とそっくりの人がいるのだ。

「云わなくてもわかる人」は希少価値だ。
「云ってもわからない人」や「云えば文句をいう人」は 世の中にいっぱいおられる。

「触らぬ神に祟りなしだ」とばかりに、「云うこと」をしなくなった。その結果、「聞こうとしない人」が増えてくる。

 このままでいくと人間は自ら墓穴を掘ることになる。あの『猿の惑星』という映画と同じことが私たちの身の上に起こって来るのではないか。

 杞憂であって欲しいとは思うが、どうもそうではなく、現実として、あらゆる社会環境の中がそういう結末に向かっているのではないかと思えて仕方がない。


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