2011年3月11日、テレビの音を聞きながら読書していた。けたたましい警報にテレビの画面を見たら地震の警報だった。「何かの間違いでは」と思ったが、その後の画面に釘付けになってしまった。当時、『ラ・メール』を練習していたのだが、数年間はトラウマになってこの曲は吹けなかった。
翌年から、3月11日14時46分に「追弔の鐘」を撞くことにした。有志の方と一緒に東北に向かって手を合わせて鐘を撞く。
この地震は、大津波の被害も当然のことではあるが、それにも増しての被害は、原発の電源喪失による水素爆発が起こったことであった。昔々の大津波が、歴史によって警告されていたことに対する対策はされていなかった。瓦礫は対処できても、放射能被害は今も続いている。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というが、このことだけは忘れてはならない。
核廃棄物の処理方法ができていないのに、思いつきの、その場しのぎのエネルギー政策は、将来とんでもないことを引き起こすのではないか? 『猿の惑星』も、『ターミネーター3』の、人類に警告している映画であるが、どれだけしっかり受け止められているかは甚だ心許ない。
私にできることはとてつもなく小さいが、心ある友よ、一緒に鐘を撞こうではないか。