住職になって50年が過ぎた
2022年4月。住職在任50年を記念して本山(真宗大谷派本廟)から「記念畳袈裟」をいただいた。全国から23名(対象者46名)が上洛。式典があって、京料理の「お斎」も。新型コロナの関係から、教室での給食の時のような並び方ではあったが、随行者と一緒に舌鼓を打ったのだった。
一口に「50年」というが、つまりは前住職から早く後を引き継がねばならなかったという負の一面も抱えながら節目であった。住職就任は20歳以上という規定があるので、みなさん70歳を超えた方ばかり。躓かぬようにと職員があちこちに居て、労ってくれるのだった。思えば遠くへ来たものだ。
「媚茶色地古代白茶色小葵七宝七弁牡丹紋白畳袈裟倶威儀」と言う長い名前の「畳袈裟」を頂いた。「住職在任50年」の式の正式名は、『住職・教会主管者在任50年記念畳袈裟贈呈式』と言うのであった。日常に用いることはなかろうから、「副葬品」だわなぁ。
その前に
2月。兵庫県の「自治賞」で元同僚3人が知事賞を頂いた。1人は退職後に社会福祉法人の理事長を勤め、他の2人は人権擁護委員を努めて来たのであった。
賞状の総合商社?
教育行政功労感謝 | 昭和49.11 | 多紀郡教育事務組合管理者 |
幼稚園章入賞 | 昭和51.8 | 篠山町教育長 |
教育委員会功績表彰 | 昭和53.6 | 兵庫県市町村教育委員会連合会長 |
子ども会育成者表彰 | 昭和53.11 | 丹南町社会福祉協議会長 |
自治功労賞 | 昭和54.11 | 丹南町長 |
子供会連絡協議会役員表彰 | 昭和54.11 | 丹南町長 |
子供会指導者表彰 | 昭和54.11 | 兵庫県子ども会連絡協議会長 |
国勢調査員感謝 | 昭和55.10 | 総理府統計局長 |
PTA役員感謝 | 昭和56.4 | 古市幼小PTA会長 |
永年勤続表彰 | 昭和57.5 | 兵庫県町村会長 |
視聴覚教育功労 | 昭和58.8 | (財)日本視聴覚教育教会長 |
茶の花賞 | 昭和59.2 | 丹南町長 |
窃盗犯逮捕感謝 | 昭和61.8 | 篠山警察署長 |
消防団員退団感謝 | 昭和65.1 | 多紀郡消防教会長 |
永年勤続感謝 | 平成14.3 | 篠山市長 |
永年会員感謝 | 平成16.1 | (社)日本照明家協会長 |
第三者委員感謝 | 平成22.10 | 社会福祉法人和寿園理事長 |
人権擁護委員感謝 | 平成24.5 | 法務省人権擁護局長 |
自治功労賞 | 平成26.11 | 篠山市長 |
まちづくり協議会役員感謝 | 平成29.4 | 古市地区まちづくり協議会長 |
人権擁護委員感謝 | 令和3.4 | 法務大臣 |
自治功労賞 | 令和3.11 | 丹波篠山市長 |
自治賞 | 令和4.2 | 兵庫県知事 |
住職在任50年記念畳袈裟拝受 | 令和4.4 | 真宗大谷派本廟 |
表彰というものは、時として「お手盛り」のものが多いのであります。一定年限が来たり、円満辞任したりすると慣例で出されるものがある訳です。捨てるのも失礼なので取っておいたらこんなにあったのでした。「自画自賛」の表彰というものがかなりあるのですねぇ。
「賞」の反対は「罰」であります。若き頃。前を走る軽自動車が時速30㎞で国道をノロノロと。後ろに「ほうき星」のごとく長~車列を引きずっての大名行列でした。我慢できずに見通しの良いところで追い越したら路地にパカーがおりまして。明石の玉津警察へ誘導され、同情されつつの反則金でした。
次は、県道をトラックが。そのトラックへ追いついたら大きな赤い旗が出てくるのでした。「トラックがやられたな?」と思ったら私の方でした。追いつくときのスピードが70㎞になっていたのです。制限速度は40㎞の県道でした。この時は「罰金」でしたねぇ。
次は春のうららのある日。プリンターのインクが切れたのでお店へ。赤旗が出るのです。「お急ぎですか?」と言われて、「いえいえ、急いではおりません。ゆっくり走っていたのですが」「でも60㎞出ていますよ」と。またも40㎞制限の道だったのです。反則切符をいただきました。高く付いたプリンターインクでしたなぁ。
そういえば「ハルウララ」という競走馬がおりました。まだ存命しているとのこと。113戦0勝と、一度も勝ったことがないのですが、獲得賞金は1,129,000円だとか。連戦連敗ゆえにたくさんのファンがありましたねぇ。人生とはそういうものかも知れません。賞状も記念品も、所詮はだだの紙くずやゴミになるでしようが。
外国の将官が軍事パレードなどに姿を見せると、胸一面にメダルをぶら下げているのを見ます。勲功があるのでしょうが、「一将功成りて 万骨枯る」という言葉を連想するのですよ。子どもの頃、ビール瓶の栓を胸に付けて遊んだのを思い出しますねぇ。