住職50年

住職になって50年が過ぎた

 2022年4月。住職在任50年を記念して本山(真宗大谷派本廟)から「記念畳袈裟」をいただいた。全国から23名(対象者46名)が上洛。式典があって、京料理の「お斎」も。新型コロナの関係から、教室での給食の時のような並び方ではあったが、随行者と一緒に舌鼓を打ったのだった。
 一口に「50年」というが、つまりは前住職から早く後を引き継がねばならなかったという負の一面も抱えながら節目であった。住職就任は20歳以上という規定があるので、みなさん70歳を超えた方ばかり。躓かぬようにと職員があちこちに居て、労ってくれるのだった。思えば遠くへ来たものだ。

本廟大玄関で随行者やご門主と記念撮影をば。本人もさることながら、随行者の大方は坊守さん。さぞかしいろいとご苦労もあったと思うと一入ひとしおの感がある。

大寝殿でのお斎。新型コロナを受けて、みなさん「黙食」だ。因みに「黙食」という熟語はない。新造熟語だねぇ。しかし、なんともはや、お通夜の弁当を頂いているような雰囲気でしたなぁ。

泉仙(京都)のお弁当が出た。本山御用達なのだろう。法話に出講すると、泉仙のお弁当が出される。もうちょっとランクが・・・・だが。

八藤紋の入った添えの記念品があった。経机に掛けるものなのか、使い方は説明がないので、とにかくしまっておこう。

「媚茶色地古代白茶色小葵七宝七弁牡丹紋白畳袈裟倶威儀」と言う長い名前の「畳袈裟」を頂いた。「住職在任50年」の式の正式名は、『住職・教会主管者在任50年記念畳袈裟贈呈式』と言うのであった。日常に用いることはなかろうから、「副葬品」だわなぁ。

その前に

2月。兵庫県の「自治賞」で元同僚3人が知事賞を頂いた。1人は退職後に社会福祉法人の理事長を勤め、他の2人は人権擁護委員を努めて来たのであった。

記念品に兵庫県の彫刻作家新谷琇紀作「連帯」というレリーフが添えられていた。

前のお二人は主催者(知事の代理職員)と来賓。受賞者のリボンの方が小さかったねぇ。写真は何故か少々ピンボケになっているのだった。こういう配置は「主客転倒」というのですなぁ。味も素っ気もない催しでした。

後日、市長を表敬訪問する。古巢での顔なじみばかりで、思わずみんなの顔に笑みが浮かぶのでした。広報担当職員がステキな写真を撮ってくれました。

(左から酒井隆明市長・井貝・小林・酒井)

賞状の総合商社?

教育行政功労感謝昭和49.11多紀郡教育事務組合管理者
幼稚園章入賞昭和51.8篠山町教育長
教育委員会功績表彰昭和53.6兵庫県市町村教育委員会連合会長
子ども会育成者表彰昭和53.11丹南町社会福祉協議会長
自治功労賞昭和54.11丹南町長
子供会連絡協議会役員表彰昭和54.11丹南町長
子供会指導者表彰昭和54.11兵庫県子ども会連絡協議会長
国勢調査員感謝昭和55.10総理府統計局長
PTA役員感謝昭和56.4古市幼小PTA会長
永年勤続表彰昭和57.5兵庫県町村会長
視聴覚教育功労昭和58.8(財)日本視聴覚教育教会長
茶の花賞昭和59.2丹南町長
窃盗犯逮捕感謝昭和61.8篠山警察署長
消防団員退団感謝昭和65.1多紀郡消防教会長
永年勤続感謝平成14.3篠山市長
永年会員感謝平成16.1(社)日本照明家協会長
第三者委員感謝平成22.10社会福祉法人和寿園理事長
人権擁護委員感謝平成24.5法務省人権擁護局長
自治功労賞平成26.11篠山市長
まちづくり協議会役員感謝平成29.4古市地区まちづくり協議会長
人権擁護委員感謝令和3.4法務大臣
自治功労賞令和3.11丹波篠山市長
自治賞令和4.2兵庫県知事
住職在任50年記念畳袈裟拝受令和4.4真宗大谷派本廟

 表彰というものは、時として「お手盛り」のものが多いのであります。一定年限が来たり、円満辞任したりすると慣例で出されるものがある訳です。捨てるのも失礼なので取っておいたらこんなにあったのでした。「自画自賛」の表彰というものがかなりあるのですねぇ。
 「賞」の反対は「罰」であります。若き頃。前を走る軽自動車が時速30㎞で国道をノロノロと。後ろに「ほうき星」のごとく長~車列を引きずっての大名行列でした。我慢できずに見通しの良いところで追い越したら路地にパカーがおりまして。明石の玉津警察へ誘導され、同情されつつの反則金でした。
 次は、県道をトラックが。そのトラックへ追いついたら大きな赤い旗が出てくるのでした。「トラックがやられたな?」と思ったら私の方でした。追いつくときのスピードが70㎞になっていたのです。制限速度は40㎞の県道でした。この時は「罰金」でしたねぇ。
 次は春のうららのある日。プリンターのインクが切れたのでお店へ。赤旗が出るのです。「お急ぎですか?」と言われて、「いえいえ、急いではおりません。ゆっくり走っていたのですが」「でも60㎞出ていますよ」と。またも40㎞制限の道だったのです。反則切符をいただきました。高く付いたプリンターインクでしたなぁ。
 そういえば「ハルウララ」という競走馬がおりました。まだ存命しているとのこと。113戦0勝と、一度も勝ったことがないのですが、獲得賞金は1,129,000円だとか。連戦連敗ゆえにたくさんのファンがありましたねぇ。人生とはそういうものかも知れません。賞状も記念品も、所詮はだだの紙くずやゴミになるでしようが。
 外国の将官が軍事パレードなどに姿を見せると、胸一面にメダルをぶら下げているのを見ます。勲功があるのでしょうが、「一将功成りて 万骨枯る」という言葉を連想するのですよ。子どもの頃、ビール瓶の栓を胸に付けて遊んだのを思い出しますねぇ。


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