いま世界で起こっていること
世界が大変なことになっている。新型コロナであちらもこちらも萎縮してしまい、それでもと何んとか先を見越したら、また変異株が蔓延している。
そんな中で、ロシアがウクライナへ軍隊を入れ、軍事目標だけではなくて、非戦闘員の一般市民にも大きな被害が出ているという。
ニュースでしかわからないので、理由の真相は判らないものの、「クラスター爆弾」が使われた、「燃料気化爆弾」が使われたとも言う。そして、P氏は「我が国には核兵器があるということを忘れないで」と、非難する国に向けて恫喝ともとれる発言があった。
テレビ塔を攻撃し、ネット攻撃もしていると聞く。そんな中でびっくりしたのは、「原発を攻撃した」ということだった。原発本体の損傷はなかったらしいが、大方の人は、「そんなことは考えもしていなかった。想定外だった」と言われる。
しかし私には「想定内」のことだった。「戦争」という事態は「武力で相手を屈服させる行動」なのだから、「こうすれば相手に致命的な打撃を加えることが出来る」と選択肢を考えていくと、「情報伝達の手段を絶つこと」、「インフラを破壊すること」、「一般市民の衣食住を破壊すること」が何よりも大きな影響力を発することが出来るのだから、P氏の作戦は「想定内」と考えても的は外れていない。一般市民が「根」をあげれば早晩目的は達成出来る。国際的非難をどのように浴びようとも「目的を遂行」するのに躊躇していては自分が敗者になるのだから。
こんな私に何が出来るのか?
これから先、軍人にも非戦闘員の一般市民にも死者や被害者が出て来ると思う。せめてもの弱者の「一灯」は何であるかと思案を重ねた。かつての「阪神淡路大地震」で、町役場の救援部門の末席で経験したこと。神戸に出た元門徒さんのお見舞いに駆けつけたこと。福島の大津波のライブを見てトラウマになったこと。そんな貴重な経験の中から、何か「一石」を投じたいと思うのだ。
親鸞は、「御同朋 御同行とかしづいて」という言葉を残された。つまり、今風に言うと、「悲しみや嬉しさに共感し 自分のこととして共有出来る人になりたい」ということだ。(「かしずく」とは「大切に大切に対応する」という意味)
日頃「反原発」を言い、「反戦」を言い、「LGBTQ+」を「言う」だけではなくて、せめて自分の「身の丈」に合う行動を起こしたいものである。
とんでもないことを聞いた。日本のA氏が核の共有の議論を進めるべきだ」と。「核の抑止力」という、「力で力を制する」という理論が人類に取って成立する「真理」なのか?
核のボタンを押したら、映画『猿の惑星』の通りになるのは誰も否定出来ない。「抑止力」どころか「危険極まりない物」を身近に置くことになる。
世界で唯一の「被爆国」であり、11年前には「原発事故」に遭遇した日本が言うべきことかと。今の総理はすかさずこれを否定した。「政府としては議論することは考えていない」と。「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を堅持すると表明した。
広島・長崎の苦しみや悲しみは忘れられていない。反核に対する被爆国の思想を捨ててはならないのだ。
かつては「姉妹国」と言われた国同士に戦火が起こり、たくさんの市民の犠牲が出ている。「私に出来ること」は、武器や弾薬を支援することではない。傷ついた人達、衣食住に困る人達に、「一握」の心を送りたい。月曜日には郵便局へ行って「赤十字」に何がしかを送るのだ。
我がこととして 共感し 共有することに行動を起こすのだ。
電話で話をした友人は、「月曜日に私も郵便局へ行く」と言っていた。