これが和算の教科書だった



 明治5年(1872)に日本で学制が発せられ、学校が設置されることになったが、実際は以前の寺子屋がそのまま移行措置として存在した。
 宗玄寺には「益習舎」という寺子屋があり、時の住職だった酒井量恵が子どもたちを教えていた。教科は「読み」「書き」「算盤」は基礎で、「物理」「化学」「数学」「英語」も教えていたと、実際に学んだ人の子どもが私に教えてくれたことがあった。
 「宗玄寺の寺子屋で英語を学んだことが、爺さんの進路に大きな影響があったらしい」ということである。「いやはや、150年も前の坊様はなかなかやるもんだなぁ」と、我ながら感心したものであった。
 当時の名残となる「物」が、わずかばかり残されていた中に、珍しい物がある。それは当時の算数の教科書である。

 出題もなかなか難しいが、それよりもまず字を判読することが出来ないと、さっぱり判らない。寺子屋に通い、「算法」を学ぶには、「くずし字」が読めないと「初学」とはいえ大変な文章読解力が必要であったようだ。教科書3頁からは楷書になっているので読むことは出来ても、どういう理屈で解いていくのかはさっぱり理解出来ない。

 全て紹介したいが、何しろ私自身がチンプンカンプなのだ。悪しからずご容赦。


 これなら文章はなんとか読めても、解法の仕方はなかなか難しい。
A+5銭=B  
B=C+9銭
C=D+15銭
A+B+C+D=2.5円14銭

??????


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