外は雪がチラチラ。猫はストーブにかじりついてウトウト。心忙しかったお正月も一段落。篠山の街中の恵比寿っさんは、今年は縁起物も用意してお祭りをすると、賑やかな横断幕がメインストリートに張られている。
今年の元旦の夕方に、95歳になられたおじいちゃん?が急逝された。高校で農業科の教鞭をとられ、退職後はコツコツと郷土史を研究されて来た。判らない事を尋ねると、資料を貸して頂いたことが度々あった。晩年には、自分の集落の歴史を百科事典風にまとめられた。郷土史伝承の講座を開いて100回。半分はこの方に受け持って頂いた。
年をとっても、フィードバックをして行くことが高齢者に与えられた天命なのだと思う。伝える側と聞き取っていく側の繫がりが大切だ。この繫がりが切れると、築き上げられて来た文化もコミュニティーも、あっと言う間に胡散霧消してしまう。
コロナの影響を口実に、面倒なことは避けようとする。人が亡くなっても 「お悔やみは廃止」、「お見送りも廃止」と自治会で決めた所があるという。「人の心のありよう」にまで介入するなどとは今まで聞いた事がない。楽な方へ傾斜するのは簡単だが、しっぺ返しは何倍にもなって帰って来る。
PCの履歴を見ていたら、85歳の女性が、老人ホームの誕生会で『シューベルト即興曲OP90-4』を堂々と弾いている動画があった。厚かましく私もコメントを寄せているのであった。
この方はずっとピアニストとして過ごしてこられた特別な方なのであろうが、「前向きに生きて行こう」とする「生き様」には素晴らしいものを感じる。
「私は年寄だから」と引き籠もるのではなくて、長年の人生を生きてきた「何か」を誰もが持っているはずだ。それがひいては「生きる支え」にもなる。
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