普段は何も考えることのないお葬式ですが、いざお葬式をすることになって一番の悩みは、お葬式の費用が思ったより高いという悩みや苦情・不満があることです。
悩みや不満・苦情の根本原因は何か?
派手にすると高くつく
結婚式と同じで、派手にすればす.るほど高くつくのです。祭壇の大きさ、お花の質と量、香典返しの品物の質と量、食事の質と量、お坊さんの数etc。ビデオを上映したり、生バンドの演奏をつけるなどは、制作費や出演料で一気に高くついて行きます。
参会者の数が多くなれば、それに応じた会場も必要になってきます。生前の交友関係が多いほど、必然的にそうなってきますね。橋本龍太郎さんの場合も、家族だけでのお葬式とは言っても、次々に訪れる弔問者には、何らかの対応が必要になりますから、大変だったろうと思います。
葬儀社は許認可事業ではありませんから、そもそも相場というものがないのです。いかに付加価値をつけるかということによって企業利益が生まれるのですから、費用の上限はないということです。一般的には、ランクの選択は喪主にあるのです。
安くつくお葬式の方法
自宅で葬儀式(お別れ)をし、霊柩車(ワゴン車等)で斎場へ移動し火葬に付す場合。
死亡診断書を書いてもらう | 5,000円程度 |
役所で死亡届と埋火葬許可をもらう | 無料 |
棺桶の購入 | 30,000円程度(上限なし) |
斎場(火葬場)の申し込み | 大人 20,000円(市内の人) 60,000円(市外の人) |
骨壺 | 3,000円ほど |
寝台車 | 20,000円程度か? |
自分のワゴン車等を使用して運ぶ場合は死体運搬の許可を警察に申請する必要があると聞いたが、そんな例は経験していないので、その方法はわかりません。
家族の移動交通費 自家用車・バス・タクシー・マイクロバスチャーターにより異なる。
香典返しや食事は一切しないとする。
以上は無宗教でする場合で 総計 78,000円ほどか?
これを「お葬式」というかどうか。「遺骸の焼却処分」というかどうか。
お坊さんのお布施
そもそもお布施というのは文字通り「施し」ですから、これに料金が定められていること自体不思議に思います。お坊さんの「時間給」ではありません。
しかし、寺は葬儀や法事をするためにのみ存在するのではなく、仏法を広めていく拠点としての存在の方が第一義なのです。仏法を広めていくためには、僧侶の生活費や伝道費など、様々な経費が必要となります。
葬儀や法事のお布施は、そうした経費を賄うためのものと考えた場合、そこそこの金額が要求されるのも致し方ないこととも考えます。
寺の中には、サイドビジネスとして駐車場の経営、幼稚園・保育所の経営、塾の経営など、実はいろんなサイドビジネスをされている寺も多いのです。中には学校の教師をしたり、民間会社に勤めているお坊さんもいます。
寺は「寺と檀家」という関係の中で維持されています。「檀家」というのは現代の言葉に直すと「スポンサー」ということです。言い換えれば、NPO法人を維持していくための「会員」と同じということです。
檀家=信者ということではありません。そもそも檀家というのは信仰心があってスポンサーであるべきでしょうが、信仰心のある方々の信仰を深めていくためのスポンサーが檀家(ダーナ)ですから、=とは限らないわけです。昔は「檀那寺」という言い方をしました。つまり「私がスポンサーになっている寺」という意味で使いました。
そう考えていくと、ことお葬式についてのみは、「講」であったり「互助会」であるということが言えます。寺が葬式を執行するのは、会員や信者の家族が亡くなられた場合に出向くということが本来の姿なのかもしれません。つまり、会員や信者でない方のお葬式は別の体系に属するのですねぇ。
体系外の例は昔からありまして、諷経(ふぎん)という形をとりました。諷経僧は喪主の親戚などが自分の在所の寺のお坊さんを個人で頼んで葬儀に出てもらうのですから、そのお布施は依頼主が負担し、また特別の額がお布施として渡されたものです。
諷経僧は親族の焼香に先立って、「○○氏の懇請により、○○寺住職、□△兵衛の葬儀に当たり一句葬送の辞を・・・・」と、自分を頼んだ者が誰であるかを披露し、弔辞のような言葉を述べて依頼者に代わって焼香をしたものです。
つまり、葬儀へ坊さんが出てくるのは、何かの関係の中で出てくるのです。それは生前のおつきあいとか、親族が寺の檀家であるとかということですから、全く今まで関係を持たなかった方のお葬式に、お経の合唱団(あるいはソリスト)として雇われていくということ自体がおかしい状態なのです。
それを敢えてという事であれば、当然お布施は会員外として扱われる事になります。日常的に会員(檀家)が寺(伝道の拠点)を維持しているのですから、一見(いちげん)さんにはそれ相応の要求が為されるのは当然かも知れません。
寺は葬式をするためのみに存在するのではないということを認識していただければ、関係の中でお布施の額が変わってくるということが理解してもらえるのではないかと思うのです。
ちなみに私が祖父から聞いていたのは、
葬式のお布施は、大工さんの1ヶ月分の日当
法事のお布施は、大工さんの1週間分の日当
が昔の相場だったということです。
一生の間に2回ほどの事ですから、高いか安いかは人それぞれでしょうが、しかし、必ずそうだとは決まっていなくて、所帯の状況も十分斟酌されていたことも事実です。つまり0~∞ということです。
普段から寺と親密な関係にあったり、熱心な檀家であった場合は、ざっくばらんにお坊さんと話せば、そんなに心配しなくて良いのです。
うんと派手なお葬式をして、食事にばかり配慮していると、「お布施が少ない」と要求される場合もあるでしょうねぇ。要は全体のバランスであり、見栄を張れば張るほどお葬式は高くつくということです。
真宗以外では役僧という言い方のお坊さんが葬儀に出られることが多くあると思います。繞鉢(にょはち)と言われる楽器(シンバル・ドラ・カネ)を儀式の中で鳴らされます。これは片鉢(かたはち)とか双鉢(もろはち)などと呼ばれ、要するにシングル編成かツイン編成かということです。
片鉢の場合は、導師+3人 双鉢の場合は、導師+2×3人 というのが最低編成になるようです。お布施の総額は双鉢の方が当然高くなるわけです。実際のお葬式を見ていますと、繞鉢をつけずに導師一人で行われることもあります。
お坊さんの数が少ないと貧相なお葬式で、お坊さんの数が多いと立派なお葬式という観念があるから、おかしな感情が湧いてくるのですねぇ。
「私の家は○○宗だった。葬儀社に手配を頼めば、坊さんは当然やってくるもの」という思い込みがそもそも間違っているのです。お坊さんが葬儀を行うのは、あくまで儀式としての宗教的な意味あいと、関係性にあるということです。
葬式を坊さんに依頼はしたけれど、法名(戒名)は要らないと言った方があったそうです。それでは仏式で葬儀をするということの意味はありません。葬式をしないと死骸を焼いてもらえないとでも思っているのでしょうか。とんでもないことです。
「坊さんの生活は自分で働いて確保してくれ。しかし、法事や葬式はわしらの言う日にしてくれ」と言った方がありました。なんと都合の良い話ではありませんか?
「お坊さんはわしらに仏法を説いてくれ。あんたの生活はわしらが責任を持つ」というのが本来の姿だったと思うのですが・・・。
都会のど真ん中のお家で法事がありました。「午前11時から初めてくれ」というのです。つまり法事は1時間以内にしてくれということなのでしょう。そのために私は2時間もかけて出かけて行ったのです。
法事のお経が終わったら、「はいありがとうございました」。お経が済めば、私は邪魔な存在になっていたのです。それから2時間もかけて寺へ戻ってきました。
法事の参加者は、どこかへごちそうを食べに行ってしまったのでしょうが、都会のど真ん中でおっぽり出された私は、衣を着てラーメン店に入る勇気が出ませんでしたねぇ。
二度目の依頼がありましたが、丁重にお断りいたしました。
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