繰り返す風評と偏見


 「福島ナンバーの車の給油はご遠慮ください」(GS)
 「福島の方の入店はご遠慮ください」(コンビニ)
 「福島ナンバーのままでは首都圏へ持ち込まないでください」(運輸)
 「営業停止区域ですから引っ越しの運送はできません」(運輸)
 「放射能が感染するから」(いじめ)

数え上げたらきりがないかも知れない。遅まきながら法務省はやっと「人権侵害につながりかねない」と腰を上げた。

 しかし、私たちはかつて同じような経験をしてきた。センセーショナルな事態が発生すると、必ずこういう類似したことが起こる土壌があり、それがいつまでも改善されずに今日に至っているのである。

 1996年、堺市で発生した「O157食中毒」の時には、真っ先に犯人に仕立て上げられたのは「カイワレ大根」であった。生産者には大打撃が襲った。
 「堺市の方の宿泊はお断りします
ということまで出てきた。
 O157を防ぐには、手洗い 火を通す 調理器具の衛生管理 といういとも簡単なことで感染を防ぐことができるにもかかわらず、堺市全域が猛烈なO157蔓延地域のように喧伝された。犯人にされた「カイワレ大根」は無実が確定し国家賠償が行われた。

 2003年には「ハンセン病元患者宿泊拒否事件」が起った。熊本県の事業担当者が宿泊申し込みの際に、客がハンセン病元患者等であることを知らせなかったとはいうものの、「他の宿泊客への迷惑」を理由に宿泊を拒否する事件があった。「ハンセン病」という病気に対する正しい認識がないことによる「偏見」が生み出した事件であった。

 2009年から流行した新型インフルエンザ。薬店からマスクがなくなり、スーパーの客も全員マスク姿になってしまった。
 テレビは、その市町村の一部に患者が出たというだけで、市町村の区域を真っ赤に塗って放送した。その区域に一歩踏み込むと、まるで生還できないがごとき印象を与えてしまった。1週間が経過し、2週間が経過して、報道がやや下火になると、スーパーからマスク姿の客がいなくなっていった。

 報道に踊らされ、正しい知識に基づかず、右往左往して風評をまき散らし、あげくの果ては大きな「人権侵害」ということを残して来たのではないだろうか。
 自宅にきれいな井戸があり、毎日使いながらも、TVの煽りに乗せられて、ついついペットボトルの水を買ってしまい、家に帰ってエライ剣幕で叱られた方がある。

 今回の福島県の原発に関わる風評も同じ構造を持っている。たしかに放射能の影響は否定できるものではない。手を付けてはならないものに手を付け、「安全」というマインドコントロールに染まり、のうのうと暮らして来たことは事実である。

 しかし、決して同心円的に汚染されているわけではないし、一律に市町村単位に色をべったり塗りつけられるような識別ができるわけではない。
 「客が嫌がるであろうから
という理由付けをしているが、実は偏見を持って一番嫌がっているのは、断りを言っている本人自身ではないか。いやそれとも、「後ろ指を指されるのではないか」とヒヨヒヨとしているのかも知れない。
 排斥され、疎外されている側の人たちには何の罪もない。その人たちが何かを起したのでもない。彼らこそ「被害者」であるのだ。

 外国の人が不思議がるのは、避難所で秩序が保たれ、略奪や暴動がなぜ起こらないのかということだという。
 そういう「助け合い」や、「ある種の我慢強さ」というものを持つ反面に、偏見によって人を排斥疎外していくものと同居している人間姓の持ち合わせこそ「不思議」の存在に思えてならない。

 かつて「部落差別」という問題の中で、「私は理解しているが、親戚や周りの人が嫌がるから」と結婚差別が起こり就職差別が起こったのは周知のことであり、もしかすると、結婚差別は今も密かに存在しているかもしれない。

 駐車場に4がなかったり、4号室がなかったりというのも、「嫌がられるから」との思い込みにしかすぎない、嫌がる人はたしかに存在する。しかし、その根拠が単なる語呂合わせの駄洒落から起ったものであることを知ってほしいものだ。「4を嫌うのは当たり前。おかしいという方が世間の常識を知らぬ者だ」と言われるが、間違っているのは語呂合わせの駄洒落をまともに信じているあなたの方。正しくないことを温存助長する事はやめてほしいものだ。

 差別を生み出す構造は同じなのだと考える。
 ・不確かなものに対する怖れ
 ・不知なるものに対する怖れ
 ・自分で確かめずに付和雷同する
 ・烏合の衆であるにもかかわらず、みんなと一緒でないと不安になる
 ・身近にスケープゴートがいると安心する

 自己と他者との位置関係も大きな要素にもなっている。子どもが「いじめ」に毅然と向き合えないのは、いつ何どき「位置関係」が変化して、自分がスケープゴートになるかも知れないことを知っているからだと思う。
 
 地震や津波で命を落とされた方は、どんなに無念であったろうか。手を合わせて頭を下げるほか言葉がない。生き残れた人々に、さらに追い打ちをかけている放射能は、まさに「劫火」を連想してしまう。

 その中で、避難所を見舞われた時にプレゼントされた水仙の花。羽田に帰られた飛行機から降りられる時にしっかりと手に持たれていた美智子皇后。被災者の思いを共有されている心の優しさに深い感慨をもらった。天皇制云々のことではなくて、分け隔てなく人々と接していこうという生き様を示すすばらしい啓発者だと思う。(2011.4.28)


旧ホームページからの移転

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました