仏教の宇宙観


 無数、不可思議、微塵 などという言葉があるが、これは仏教経典の中に出てくる数の単位である。
 正の方向には、とてつもなく大きな単位の数があり、負の方向にも限りなく小さな数の単位が出てくる。

 仮に私たちの存在場所が正負の中間の原点として見ると、地球や太陽系、銀河や宇宙というのは限りなく広がっていく正の方向だ。そして、顕微鏡でどんどんと物の構造を探していくのは、限りなく負の方向と言うことができる。
 共通して言えることは、一つの中心になる「核」があって、その周りを回っている物があることに気づく。

 銀河にも中心があり、宇宙にもビッグバンが起こった中心がある。太陽系の中心はもちろん太陽。地球の周りには月が回っている。

 分子を構成している物質を電子顕微鏡で覗くと、「核」になる物の周りを「電子」が回っているという。そして、その回っている「電子」の数によって物質の性質が異なるという。

 将来、顕微鏡が発達して、もっと細かい物が見られるようになったとき、「電子」の中を覗いてみたら、またまた「核」になるものの周りを何かが回っていることが確認される日も来るだろう。

 しかし、みんな大事な物だ。どれ一つ欠けても、全く別な物になってしまう。
私たちの生きている地球という宇宙から見たら一個の分子が、その中にいる人間という物質によって変化してしまったら、きっと銀河の中でも微妙にバランスが崩れてしまうのではなかうか。


 20年前、「80年代我らの世界」という番組があった。
  ♪♪ 青い地球は誰のもの ♪♪ というテーマ曲だった。
 物質文明の過度の発展に対する警鐘でもあった。

 文明は私たちの生活を、より豊かに、より便利にはしてくれるが、そのツケ(廃棄物)は、確実に私たち自身を滅亡の方向にもっていくのではないか。

 何のために働いているのか?
   「働く」=はたらく=はた(隣にいる人)が楽 
 と聞いてきた。
しかし今は、「ら抜き」だ。 「ら抜き言葉」というのがあるが、「働く」から「ら」を抜くと
   「はたが苦」になる。

 2000㎞離れた所の蝋燭の明かりを見ることの出来る望遠鏡が完成した。名付けて「なゆた」というそうだ。より遠くの天体観測ができるという。「なゆた」とは「那由他」という事から付けられたそうだ。「那由他」とは、お経に出てくる数字の単位である。


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