東京の大田区池上に日蓮宗の大本山である長栄山本門寺があります。その寺から出ている小冊子の2月号に「一寸いい話」と題して本門寺の貫首さまの投稿を目にしましたのでご紹介してみたく思います。
一寸いい話を聞いた。
登校をしぶる小学校五年生になる男の子の家に、担任の教師がやって来て、こんな会話がはじまった。
学校へ行くのはいやか。
うん、いやだ。
どうして。
面白くねェもん。
だけど、学校はお前のためにあるんだぞ。
うそだーイ。
ウソなもんか。犬は学校に行かなくとも犬になれるけど、人間は学校に行って知識をつけなければ人間になれないのだ。お前は犬ではない。立派な人間だ。だから、学校はお前のためにあるのだ。
先生は口がうまいから誤魔化されているみたいだ。
誤魔化してなんかいるもんか。それじゃ、もっと解りやすく言おう。お前がお腹がペコペコの時、先生がお前にかわって、たらふく食べてやったら、お前はお腹が一杯になるか?
・・・・・。
満腹になるかよ。
ならない。
ほら、お前の空腹は、お前自身が食べなければ一杯にはならない。知識もそれと同じだ。お前が、学校に行って学ばないかぎり、知識はお前のものにならないんだよ。だから、学校はお前のためにあるんだ。どうだわかったか。
これは篠山市にあるロータリークラブの2001年2月7日第1910回例会記録の中で、会長談話として掲載されていたものです。
私は、会員ではなくて、たまたまこの会報?を拝見する機会があったのです。
会長さんは日蓮宗のお坊さんです。
宗派は違っても、人間を優しく暖かく見守っている暖かいお話でした。
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