お盆の習慣
お盆という仏教行事が始まる元祖は、目連というお釈迦様の弟子にまつわるお経に『目連父母恩重経』というのがあって、その中から仏教行事とされて来たと言われている。真宗的に言うと、「亡き人を偲び、遠い祖先に思いを馳せる」ということであろう。
『徳川実紀』という物を読んでいると、祖先の墓参りについての規定が定められている。「一年に一度は祖先の墓へお参りせよ」というのである。そこで始まったのが「お盆休み」ということなのだろう。
お盆にふるさとへ帰ったり、親元に帰るのは、そこを宿泊の基点にして、花火大会を見に行ったり、海水浴に行くためにお盆休みが習慣として実施されているのではない。
実家に帰り、先祖のお墓に参るために休暇が習慣として存在しているのをどこに忘れ去ったのだろうか。
棚経
真宗ではそもそも棚経というものは存在しないのだが、地方によっては、他宗の習慣などから、真宗でも棚経をする。宗玄寺もその例外ではない。
「棚経」とは、邪宗門を祀っていないかどうかを点検する一つの手段でもあったようだ。亡くなられた時の「枕経」も、実は死体検分をして、その死相から邪宗門か否かを見極めることにあった。
嘘か本当かは真偽は定かではないが、慶長18年に出された『切支丹禁制掟 十五箇条宗門檀那請合掟』というものの中に、「死後死体に剃刀を与え、戒名を授け吊可事之宗門寺の僧、死相を見届け、邪宗無之段、確に合点の上か致引導なり。能々可尽吟味事」とあって、吊=葬式をする前に、よくよく死相をあらためるようにと定められた。
いろいろ宗派によって意義が定められているが、江戸時代には「棚経」と称して一軒ずつ回り、切支丹を祀っていないかどうかを点検して回ったのが事の濫觴ということだ。最初の意味はどこかに行ってしまって、坊さんに自宅に来てもらって「棚経」をムニャムニャと唱えてもらったら亡くなった先祖が満足すると思っているのが現今の状況らしい。
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