親鸞さんが勧めたものと嫌ったものがある。今、私たち坊主は、どうやら親鸞さんが嫌ったことばかりをやっているのではないかと屁理屈をこねてみることにする。些か暴言が過ぎるかも知れないが。
親鸞さんの750回忌が6年ほど後にやって来る。そこで本山は目下大修理に突入した。
親鸞さんて、あんな大きな伽藍や教団などというものが必要だと思っていたのだろうか? と考えてみると、どうもそうではないらしい。
正信偈を正しく唱えましょうなどとおっしゃる方がある。結構なことです。無茶苦茶な節回しよりも揃った方が良いでしょう。でもその前に。正信偈って何? ということを抜きにして、ただ節回しだけ朗々と心地よく唱えてみたって、それがいったいどうなんだということ。
ジュゲムジュゲム ゴコウノスリキレ・・・・・・とやったところで・・・・。
おまけに正信偈の節回しには何種類かあるのですねぇ。「真四句目下げ?」何んて言われても、私ゃようしません。和讃も三つ淘、五つ淘 etc。本山の報恩講では「坂東節」などという、体を前後左右に大きくくねらせて、必死の形相で大声で唸るのですが、あれって、聞くところによると講習会を卒業しないとだめなんですってねぇ。年寄には心臓によくないでいなぁ。
そんなこと、親鸞さんはしてほしかったのでしょうかねぇ。
坊さんの正装ってのも何種類かあって、しかもそれにランクがついているのです。衣の原点は、平安・鎌倉時代の宮中の服装なのですね。
中啓という赤塗りの骨に、きらびやかな絵が書いてある扇子を持つのですが、「麻呂は○○でおじゃる」なんちゃって・・・・。
衣の色も金次第なんです。金を持って行くとランクが上がるのです。もちろん席順も上がるのです。
反権力を徹底していった親鸞さんの思いとは正反対では?
仏教僧がどこでもこんな平安時代の衣を着ているかというと、そうではないのですねぇ。チベットへ行けばチベット風。インドへ行けばインド風なのです。足元もズックを履いたりサンダルを履いたりしているのですねぇ。
時代が変遷して、服飾文化も随分変わって来ました。夏ともなると、うら若き女性が羨ましいぐらいです。ノーネクタイが云々されていますが、夏の暑い時に首元をしめているとどんなにクソ暑いことかは、もう35年も経験してきたのです。しかるに固定観念というものは恐ろしいのです。ノーネクタイは失礼に当たるというのですねぇ。では江戸時代の庶民は失礼の大集団だったのですねぇ。
夏のド最中に、いかに夏物とは言え、七条袈裟を着けるどんなに大変か。この辺で坊主の服装も一考しては如何なものか。例えば山本寛斎さんなどのスーパーデザイナーに依頼して、現代風の坊主の衣裳はどうすればよいかなどと・・・。
ついでに、お寺という建物も、決まり決まったデザインではなくて、安藤忠雄さんのような建築デザイナーでお寺を建ててみてはどうか?
いや、もう既に、安藤忠雄さん設計のお寺が、富士山を借景して建てられているということをテレビで紹介していた。
若い人の寺離れが顕著で、「陰気くさい」などと言われている。もう固定観念を捨てる時が来たのではないか?
ついでにお経の節(正信偈や念仏・和讃)も、現代作曲家の競作で新しく生みだして行ってはどうかとも思う。
と、こんなことを書くと、「お前は伝統というものの大切さがわからんのか!!」と言われるかも知れない。
でもねぇ、余所様の御宗旨のお葬式では口語体のお経を合唱されてますです。そんでもって、聞いてる方もその内容がよく分かるんですが?
と、こんな話をしていたら、「分からんでも、百辺やったら分かってくるものだ」とおっしゃるんですねぇ。そんな悠長なこと・・・・・。
ついでに、
「おーっさん、この前、遠くの親戚の葬式に行ったんです。お経の本(『昭和法要式』)を持って行っとったら、その時の坊さんが、『あんた、坊さんのお経を持ってるなぁ』って言われたんです。あの辺の人は、お経に何が書いてあるかわからんと、ただ黙って聞いてるだけなんやねぇ。私らは、ぼんさんと一緒にお経をとなえたんやで」とおっしゃった。
今の節回しや衣裳は「伝統文化財」として別にとっておいて、それとは別のものを生みだしていっては如何なものかと思うのです。
元宮内庁雅楽師の東儀秀樹さんは、雅楽を現代に再認識させた方です。革ジャンを着ての演奏会もありますねぇ。「陰気くさい」と思われていた雅楽を見事に再生したのですねぇ。
坊主の服装とメロディー革命を起こしませんか?
私のいる寺も、参拝者は全て椅子席。畳に座っているのは坊主の私だけ。いや、兼務している寺は全て椅子席にしてしまった。その椅子たるや、旅客機の椅子みたいなデザインで、リクライニングするんです。
ちと行き過ぎか?と思ったけど、なんのこっちゃない、慣れてしまえば当たり前になったのです。今年の除夜の鐘はルミナリエでやっちゃおうかな?
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