右と左 根拠があるのです


 ここで取り上げる右と左とは、社会的思想や政治的思想ではない。

 どうも最近この呼称に混乱が生じている懸念があって、わざわざ注釈を入れねばならないという煩雑さを覚えるようになった。つまり、事の濫觴を知らず、「自己中」に物事を判断するようになったからかも知れない。

 舞台用語で「ライトステージ」と「レフトステージ」という言葉がある。つまり舞台の位置を示すのだが、舞台から客席を見て、右側方向のスペースを「ライトステージ」と言い、客席を見て左側方向のスペースを「レフトステージ」と言う。

 野球場にも「ライト方向」「レフト方向」というのがある。バッターボックスから外野方向を見て右側を「ライト方向」左側を「レフト方向」と呼びますねぇ。
 日本の舞台用語では、舞台から客席を見て、右側方向のスペースを「下手」と言い、舞台から客席を見て、左側方向のスペースを「上手」という。

 「右」とか「左」とかを指定する場合には、何が起点なのかという決め方の理屈を知っていないと恥をかくわけです。

 これは心理的イメージがそうさせるのであろうが、目の前を走る列車が、右から左に向かうと「下り列車」で、左から右に向かうと「上り列車」という暗黙の観念があり、川上は右に書き、川下は左に書く方が見る者に受け入れやすい心理効果(慣行概念)があるようだ。

 さて、いよいよ本題。

 私たちの宗派の本堂・阿弥陀堂・御影堂の作りは、ほぼ同じ間取りの配置になっている。つまり中央に祭祀すべき主体が位置する区画があり、この区画を「本間ほんま」と呼び、末寺の阿弥陀堂では、その本間の中央を「尊前そんぜん」言って阿弥陀如来を安置する。その阿弥陀如来に対面して向かって右は「祖師前そしぜん」と称して親鸞の絵像がかけられる。左側は「ご代前たいぜん」と称して蓮如上人の絵像がかけられている。

 その本間の両側に「余間よま」という場所があり、一方の「余間」には聖徳太子・九字名号・七高僧の軸が掛けられ、反対側の「余間」には、先代住職の軸と十字名号の軸がかけられている。宗派によって、あるいは本堂と庫裏まりの配置によっては、掛けられる場所が違う場合があるが。
 稚拙な混乱は、この「余間」の呼び方である。

通常は「右余間みぎよま」「左余間ひだりよま」と言うのだが、問題は呼び方のいわれが忘れられつつあることから生じている。

 ついつい、「外陣からご本尊を見て右の余間に……」と言わねばならないもどかしさが生じる。相手がわかっているものと思って、「これを左余間の……」と指示を出そうものなら、外陣から向かって左の余間へ持って行く。あべこべが起こる。

 そこで「本山では呼び方を変えている」などと、まことしやかなデマが流布するのだ。

 平安京を造った時、京の都の中心は「御所」であり、そこを起点に場所の名前が生じた。大阪のように、中央区・北区・南区・西区・東区などという呼び方ではなくて、今も、上京区・中京区・下京区。右京区・左京区となっている。

 では、右京区・左京区は何を基準に「右」「左」を言っているのか?

 ズバリ、天皇が玉座ぎょくざに座って、京の都を見た時の配置なのだ。天皇が玉座に座る方向は、北を背にして、南の方角を見て座る。天皇の右手方向が右京区であり、天皇の左手方向が左京区である。

 本堂ではどうなるか。

阿弥陀如来は本間の中央に、外陣、つまり、本堂の正面入り口に向かって安置される。阿弥陀堂の主は阿弥陀如来。ご影堂の主は親鸞聖人。観音堂の主は観世音菩薩。仏教の場合、お堂の主は、そのお堂に祀られる「主体」が主である。

 先ほどの御所の話を思い出してほしいが、主体から見て右の間を「右余間」と言い、主体から見て左の間を「左余間」という。

 左右が逆に理解されるのは、「己が主体だ」と思って見ているから生じるのだ。自分から見て右の間を「右余間」と思い、自分から見て左を「左余間」と思ってしまう。

 そう思っている人に言ってみたことがある。

 「あなたがそういう風にやっていくと、やがて京都の右京区と左京区は相互移転をすることになりますなぁ」と。

 言われた本人はキョトンとしていた。おまけに、
近頃は、阿弥陀さんに向かって右の余間……と言わなければ通じなくなっているんです」と仰る。それはその人が無智だからなのですよ。知らない人に傾斜迎合して良いものか?

 おもろいのは大阪です。地上では、「人は右 車は左」です。一歩地下に潜ると、「左側通行にご協力下さい」と看板がある。「人は右側通行」と学校で教えられて来たが…。

 諸々の推量があって、心臓が左だから? 武士は左に刀を差すから? 大阪は左側に店が多いから?

 X線写真で見ると、心臓は左にあるのではなくて、中央よりちょっと左に偏ってるだけでっせ。
 江戸時代には刀を差して歩いていた職業の人がおましたが、刀を差して歩けた人は、日本の人口の何%だったかなぁ? 日本に住んでいた人の圧倒的多数は刀を差して歩いとりませんでした。
 往きは左でも、折り返して歩くと右に店があることになりますなぁ。「日本の道を全て歩き通したら、上り坂と下り坂はどちらが多いか?」なんて言って遊んだものです。
 そういう理由ではなさそうです。

 人間が蛇を怖がるのは、学習(経験)によるのではなくて、「本能」なんだということが研究されましたなぁ。
 左側を歩く方がなぜ歩き易いと感じるのかを科学的に研究するとおもしろいかも。

 えらい寄り道になりました。
 「そもそも濫觴らんしょうをとえば」 という言葉があります。ザ・ピーナッツの『大阪の女』に、
 ♪ことのおこりは このお酒♪ 
というのがあります。
 「事のおこり」を知っておくことは大切なのです。

 それにしても、「濫觴」という漢字は難しいですなぁ。


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