酒 人をのむ


 何年振りかで新幹線に乗って箱根の向こうへ行った。たしか、娘の結婚式以来の箱根越えである。

 今回は、二足のワラジの「全国新任○○○○研修会」ということで、今年の4月になったばかりなので出席せねばならないはめになった。

 2泊3日の間、研修施設で缶詰になり、30数年ぶりに大学の講義に出たようなものであった。

 北は北海道から、南は沖縄までの新任○○○○が300人ほど集まったのである。よくもまあ、全国区では新米○○○○ってのが、こうも居るもんだとあきれかえった。

 新幹線の新横浜のホームへ降りた途端、何となく判るのである。大きなバッグを提げ、何やら鬱陶しい顔つきのおっさんが4~5人。仕事柄、世の中の不幸せと苦情は一手に引き受けていますって、そんな顔つきになるのか・・・。
 
 駅のトイレへ行って、つくづく自分の顔を見てしまった。まあ、大同小異か。

 声をかけても良いものやら・・・・。

 エッチラオッチラと1時間半乗り継いで、その先でバス待ち1時間。
 
 途中の私鉄では、小学生の小生意気なガキが、何やら母親とインターネットのことを話していた。ところがこのガキ、吊革につかまって電車の中で、こともあろうにオリンピックの吊り輪のまねごとを・・・・。

 「止めなさい」という母親の言うことも聞かない。次の駅で引きずり降ろして、どついてこましたろか?。
 ぐっと堪えていると、今度はこのガキ、塾の評価までしやがる。てめぇがどれほどの人物だと思ってやがるのか??
 こんなのが大きくなると、1+1=2は出来ても・・・・。先が思いやられるねー。

 そういえば、講義の中で、「人格は持って生まれたものではない。成育過程で形成されるもの。性格は教育や訓練では変えることはできない。自分が崖っぷちに立たないと変えることはできない」って、講師が話していた。いや、土壇場に立たされても性格は変わらないと言った方もおられた。

 やっと施設へ着くと、やっぱりあの連中だ。まずはおとなしく前泊とあいなった。ところが、世の中不思議なもので、高校時代の同級生が来ているではないか。お陰で次の日からの3日間は、それこそ30数年ぶりに机を並べて講義を聴く次第となった。

 見渡す限り山、山、山。ネオンきらめく伊勢佐木町は、山の彼方の空遠く・・・・。ここは葉山の山の中なのだ。

 どんな講義が続いたのか、その中身を詳しく書くと、二足目の草鞋が何であるかバレてしまうので・・・・・。

 講義の中に、「慢性アルコール依存症」についての時間があった。

酒をやめようと思えば、いつでも止められたが、「一杯ぐらいはいいだろう」と言う気持ちが起こり、結局元の木阿弥になってしまった。
酒を一杯飲むと、一杯だけでは満足出来ず、二杯、三杯と欲しくなる。
「一杯だけが」が、結局自分の「腹一杯」まで行ってしまう。これは完全にアル中なのだそうだ。
面倒・不安・不快・不眠・苦痛から逃れるために、つい一杯。
雪月花・遊び・つきあい・会合・仕事・につけて、つい一杯。
何もする事がないと、つい一杯。これは、飲むための口実なのだそうだ。
酒のために、身体を痛めたことがあった。
酒のために、人間関係をまずくしたことがあった。
酒のために、仕事に支障を来したことがあった。
「アル中であるはずがない」と考えたことがあった。
嘘をついても酒を飲んだ。
ホッとした安らぎを求めて、一人でも酒を飲んだ。
「酒が命で、酒さえあれば何もいらない。酒を飲んで死んでも本望」と思っていた。
酒のことがいつも頭にあり、酒を飲むために、あらゆる工夫や算段をした。
「こんどこそ上手に飲んでやろう」と努力してきたが、後悔しなければならないことが多いから、「明日からでも止めたいが、今日この一杯だけは飲みたい」。

 ①から⑮までのうち、二つ以上に該当する人はアルコール依存症なのだそうだ。

そういえば私の知っている方で、全部該当している人があた。
 講師が言うには、酒のために体を壊し、職を失って生活保護をもらうことになり、入院して肝臓を治そうとするが、それはもう一度酒を飲むことが出来るようになりたいだけで、最後は悲惨なことになる。というのであった。因みに講師は尼崎市のアルコール依存症の専門医だった。

 酔後失天地 元然就孤枕 不知有吾身 此楽最為甚

(酔うて天地を忘れ 正体なく横たわる 吾身あるをも知らぬが 最高の楽)
李白の漢詩だそうだ。

 アルコール依存症になると、「誰も自分の気持ちを判ってくれない」「自分をわかってくれるのは酒だけ」 だから「酒こそわが命」「酒さえあれば何もいらない」「ほっといてくれ。酒飲んで死んでも本望」と言うようなるそうだ。

 統計的に観察すると、アルコール依存者は20歳代でアルコール関連の病気で医療機関に姿を現し、転職を繰り返して失職し、30歳代から離婚し始めて、7割が単身となる。しかし、当節の単身者では、5割が生活保護を受け、保護費で飲めるように治してもらいつつ酒を飲むのだそうだ。   

 ところでこの講師。うまく仏教を表現した。

 「娑婆とは、辛抱しなければ居られない所。それを忍土という。
 と言っておられた。

 2泊目の夜。「さーて、寝るとするか」ってんで電気を消したのだが、どうも壁越しに、ドア越しにワイワイガヤガヤと騒ぎ声が聞こえてくる。

 さては、夕方の交流懇親会のあと、二次会にでも行って、まだその続きをやってるなー、と思ったが、女性のキャーキャーという笑い声が何とも大きく耳に入ってくる。

 一体何処でやってるのか? と部屋を出てそっと様子を窺ったら、なんと、私の部屋の隣りでやっている。それも、ドアが閉まらないように、ドアロックのアームを外に出しているから、ドアに大きな隙間がある。

 「こりゃ、たまらん」と、部屋に戻ろうとしたら、今度は私の部屋のドアが開かない。
ホテルのドアは、内側からは開くが、外側からはキーを解除しないと開かない仕組みになっている。

 うっかりドアカードを持たずに外へ出てしまっていたのだ。

 エレベーターの脇に電話があったのを思い出して、フロントに連絡してドアを開けてもらうはめになってしまった。

 この時ふと思い出したテレビ番組があった。

 素っ裸でホテルの廊下へ出てしまって、部屋に戻れず大変な目にあったコメディアン・・・。

 あー良かった。浴衣を着ていて。

  人 酒を呑む
  酒 酒を呑む
  酒 人を呑む

という言葉もある。ご用心召され……。

 閉会式の中で、某省の担当の偉いさん?が「新幹線の駅まで、足のない方は・・・・」と宣うた。お役目柄、なんという事をおっしゃるのか! あるとき、「雨が降って足下が悪い中を・・・」と言った挨拶に、すかさず、「私はいつも足下が悪いのです」と車いすの方が言われた。施策の中枢を担う方がこんな言葉を使って良いのですかねぇ? ここへ来るときのあの「ガキ」を思い出した。丸暗記は出来ても、人の心を推し量ることの出来ない連中が施策をやっていては、国民は幸せには為連のではないかなぁと。

お土産に横須賀の海軍カレーを買って帰った。


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