夜のお墓は怖いと言う方があった。
お化けが出たり、幽霊が出たり、或いはご先祖様が祟って出てくるのか・・・。
いや、それとも、死への恐怖感がそう思わせるのか・・・・。
私は別にお墓は何ともない。
世の中で一番怖いのは生きた人間だ。何処でどんな災難に遭うやら判らない。それに、人の口には戸は立てられぬという言葉もあるように、陰で尻をかかれるなんてことは世の常だ。自分が這い上がるためには、他人を蹴落としても何ともないという方もあるようだ。昨日の友は今日の敵か??。
さて、お墓を改修したり、何かの都合で墓をさわる時に必ずと言って良いほど「性根を抜いて・・・」とか、「性根を入れて・・・」と頼まれる。ところが、真宗では、「性根の出入り」を説いたお経や偈文はついぞ見あたらない。仕方ないので「重誓偈」を読むことにしている。
そもそも、性根とか霊が、私なんぞの生臭坊主の言いなりに、出たり入ったりしてくれるはずがない。
台所の大掃除や、或いは故障の修理などの時、冷蔵庫をさわらねばならないが、そのとき、一度冷蔵庫の中身を外に出して、空にしてから・・・。お墓をさわる時にやっている状況というのは、まるで冷蔵庫云々と同じではないか?。
「はい、抜けました」。「はい、入りました」って言って居られる方も、本当に実感として自信を持って言っておられるのか不思議でならない。
ご仏前に、生前の好物を供えて供養すると言われる方も多いが、じゃ、生前に飲む打つ買うが大好物のスケべー爺だったら、酒と花札と美女を供えるのが一番の供養になってしまう。そんなことをされる遺族には、今まで出会ったことがない。どなたか一度やってみられては?。
性根を入れるのは墓を作った人にである。墓さえ作っておけば、後は草茫々でもよいという事ではない。墓参りもしないのなら墓を作る必要はない。どのように生きていくかという性根は生きている人に入れるべき。
しかし、生きている人の性根はなかなかたいしたもの。性根などはそう簡単には変わらない。「土壇場」に座らされても変わらぬと言うから。「土壇場」とは、首を切られる場所のいうだいうだ
宗教は気休めの道具ではなかったはずだが・・・・。