

「今上天皇聖寿萬安」と検索をかけると、徳島新聞で紹介されているのは、室町時代初期(1420)頃の作で、日本最古のものらしく、「雲首形位牌」だ。
実はこの位牌は、「今上皇帝聖寿萬安」と刻まれており、称光天皇(1412-1428在位)の長寿と健康を願ったものといわれ、1990年に徳島県の有形文化財に指定されたという。
ところが宗玄寺にも似たなものがある。
全国の至る所の寺で、明治以降のある時期から、いや、もっと詳しくは昭和になってからであろう。ご本尊と並べて「今上天皇聖壽萬安」という位牌が祀られていた。
意味は「現在の天皇の尊いお命が、いついつまでもお健やかであられますように」ということだ。
その裏には、「われら天皇の赤子は、陛下の御為に命を捧げます」ということが暗に裏付けられているのである。
この位牌を一般的には「天牌」という。
近頃はすっかりなじみが無くなってしまい、インターネットで「天牌」と検索するとマージャン用語としてしかヒットしない。すっかり「死語」になってしまった。
世間では、無くなった方の戒名が刻まれたものを「位牌」というが、厳密にはそれは「死牌」である。「位牌」とは「階級を表した表札」であって、生きている間に掲げておくものである。
今から65年前まで、「阿弥陀如来のご恩に報じるのと、天皇陛下のために命を捧げるのは一緒である」という仏教解釈が大手を振ってまかり通っていた。
「いや、それは違う」とでも言おうものなら、たちまち特高警察の手にかかって留置場にぶち込まれ、殴る蹴るの暴行などは朝飯前の「大政翼賛」の時代であった。反戦論を口にすれば、宗門から排斥されて、除名されていった。
そういうことがあったということが、つい最近になって顕彰されて行きつつあるというのだから、でんでん虫が富士山に登るようなものだ。
政教分離というのは、国家が特定の宗教(つまり「国家神道」)によって、国民をコントロールすることを禁じたのであるが、そのことによってようやく「天牌」は取り除かれることになったはずが、実は今もそのまま祀られているところがある。
「天牌」こそ人目に触れる事は無くなったものの、根底に流れている考え方はそんなに大きく変わったとは思えない。
「坂の上の雲」は一度も見た事はないが、「明治維新」といっても、所詮は軍事クーデターに過ぎなかった。日本にはいわゆる「市民革命」などというものは一度も無かった。「今度の政府は、税を負けてくれるだろうか?」という程度の思いしか抱いて来なかった。「長い物に巻かれる」ことを美徳としてきた日本だったのだろう。
30年ほど前に、この「天牌」のいわれを聞いて処分してしまったことを記憶していたのだが、なんと、本堂の物入れを整理していると、埃にまみれて出てきた。ゴミと一緒に灰になっていたはずだったのに。
アウシュビッツ記念館とまでとは言うつもりはないが、「戦時体制の日本の遺物」としてとっておくことにした。
「こういうものを拝まされて来たんだ」と、後世に伝えたいものだ。
「戦時法話」を奨励し、釈迦の説法に屁理屈つをつけて、およそ仏法とは言い難いものを示した当時の学者さんが、この「天牌」を見たらどう言うであろうか? みなさん、もうこの世には居られなくなっていますが・・・。
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