真宗で11月といえば、いわずと知れた「忘恩講」、おっと失礼しました報恩講という事になるでしょう。1262(弘長2年)11月28日に宗祖親鸞聖人はご生涯を終えられました。この日を機縁として、本山では毎年11月21日から28日までの七昼夜報恩講が勤められています。
宗祖が果たされたお仕事の大切さを讃嘆し、文字どおり恩徳に報謝するための行事であり、真宗門徒一人ひとりが自らの生活を振り返り、宗祖の教えの意義を確かめる一年の中で最も大切な仏事であります。
ということは真宗門徒であるならば耳にタコが出来るくらい聞いたことだと思います。この欄は、仏事が仏事として回復されることがテーマですが、報恩講が本当の意味で報恩講となっているのか大きな疑問を抱いています。
私の所では、毎年10月28日にお寺で報恩講が勤められた後、門徒報恩講として全門徒宅をお参りすることになっています。
ある門徒さん宅で門徒報恩講のお参りを済ませお茶を戴いていた時、ご主人に、
報恩講、報恩講というけれども、何に対して感謝してよいものか分からん。その点お寺さんは分り易くていいですね。
と言われました。
どうしてですか?
と尋ねると、
お寺さんは親鸞聖人に感謝する理由がはっきりしている。あんたの飯の種を作ってくれた人やから感謝するのは当り前や。しかしわしらは何に感謝したらよいのやら分らん。
と言われたことが思い出されます。
宗祖の果たされたお仕事は僧侶のためだけのものだったのでしょうか。もしそうであるならば、門徒さんが感謝する必要性を感じないのは当然かもしれません。
宗祖の教えは僧侶のためだけではないにも関わらず、「何に対して感謝してよいのやら分らん」と言われた言葉は、私自身に投げかけられた問いであったように思います。
毎年門徒報恩講を勤めながら、その度に報恩講の意味を伝えてきたはずでした。否、教化したと思い込んでいました。つまり、教化したという思いこそが問われるべき問題だと思います。
教化というものは、僧侶から門徒に対して教えるものという傲慢な思いが、大事な教えを単なる飯の種に貶めたのかもしれません。
長年僧侶として活動していく中で、いつからか僧侶というものが「身分」としての性格を持ち始め、やがて権威という衣で身を纏い自らの内実を明らかにすることなく隠し続けた証しかもしれません。
「報恩講を大切にしましょう、感謝しましょう」と言っても、このようなあり様ではうそ事でしかありません。
報恩講のことをジョークで「忘恩講」と言って来たけれども、言っていた私の内実はと言えば、恩を忘れているのではなく、恩とは何かを考えようとすることすらなく生活している実状だけが浮び上がってきます。
私こそが、宗祖の果たされた仕事の内容に一番遠い存在になってしまったのかもしれません。十年後には、宗祖親鸞聖人の750回忌が来ます。どのようにお迎えすればよいのでしょうか。
聖人のお心を蓮如上人は「平座」という言葉で表わされました。
「平座」という言葉で語られ開かれた世界・人間関係を願う一人となっていたいものです。
(賢純)
京都教区だよりH13,.11月号より
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