何で殺したらあかんのか

  森拓也さんのお話から


 「人間は人間を殺してはいけない」という。しかし、殺人事件は後を絶たない。「あんなやつは死んでしまえばいいのに」と思うことすらあるのが事実だ。

 どうして「人間は人間を殺してはいけない」のだろうか?

 周りの世界をよく見ると、同じ種同士では殺し合いをすることはほとんどない。食物連鎖の中では、どうしても他の生き物を殺して喰うことは当たり前であるが、コオロギやカマキリなどは別として、同じ種同士の殺し合いは聞くことがない。

 ちなみにコオロギは動物性タンパクが摂取出来なくなると共食いを始めるし、カマキリは産卵の栄養のために雄を喰う。しかし、これは同種であっても殺して喰うということが前提にある。殺しっぱなしということはない。

 以前チンパンジーの群が仲間を殺している様子がテレビで放映されたことがある。どうやら仲間の規律を著しく犯した仲間を殺したということであった。しかし、そのチンパンジーたちは、ただ殺すのではなく、殺した仲間をみんなが食べてしまった。

 つまり、いのちを奪うということは、食べてしまうということのようだ

 振り返って、私たち人間は、同じ種である人間を、喰う目的ではなく殺してしまう。それも、わずかなお金のために、あるいは万引きを見とがめられて、あるいは子育てに疲れて・・・。

 昨日、私たちの組が企画して地区の同朋大会が開催された。記念講演にNGO「懐」の高森拓也さんのお話を聞いた。

 仲間をウザイと誹り、「何で人を殺したらあかんのか?」と聞く若者がいるという。そのとき、私たち大人は、「何で人を殺したらあかんのか」と言うことをきっちり説明できるのかと問われた。

 「殺したければ殺したらええ。その代わり全部食べてみぃ」と。

 有り余る食い残しをゴミにし、あふれんばかりの料理番組にはもう飽食した。

 あまりにもいのちを粗末に扱っている私たち。「いただきます」「ごちそうさま」も言わずに、いや、その意味さえ知らずに私たちは「いのち」を喰い続けていく。

 ある国では、食事の前に、食材のために犠牲となった生き物に対して深々と謝りの言葉を述べ、食にありつけることの感謝を述べてから箸(ナイフとフォークかも)を持つという。

 人間以外の生き物は、喰うために殺すのであって、それ以外には殺さない。ライオンの前を野ウサギが通っても、腹を満たしているライオンは決して野ウサギを慰みには殺さない。

 私たちは食物連鎖の頂点にいて、有頂天になって、喰うための目的以外に他の生き物を殺し、挙げ句の果てには、無分別に人を殺している。

 ほかの動物が、同種同士で集団で殺し合うなどということは聞いたことがない。戦争というものは人間以外には起こしえない行為なのだ。

 殺されるためにこの世に生まれて来たのではない。「いのち」を輝かせるためにこの世に来たのだ。

 そんなことを思い知らされた同朋大会であった。

2008.3.3


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