如来様とお話をする

阿弥陀堂を背に記念写真

 2006年6月6~8日と、二泊三日の上山奉仕団をお受けしました。参加者は仙台教区の中で開催された「推進員養成講座」前期修了者の中から、気仙組と仙台組の内、上山日程に合う方々でした。
 推進員養成講座は地元で前期教習を受け、京都の同朋会館で二泊三日の後期教習を受けることになっています。

 全国各地からそれぞれ上山されますから、一堂に会しての毎回の食事(期間中に7回食事を一緒にする)には、みんなが入り交じって(食堂へ入った順に座っていくのでグループごとに席があるのではない)、初めての顔合わせにもかかわらず和気藹々と方言が飛び交います。

 朝6時から日程が始まり、朝のお勤め、お掃除、見学、講義、座談会など盛りだくさんの日程ではありますが、ゆったりとした時間が流れていきます。

 仙台・気仙の皆さんは、わずかに5名、それに引率者として仙台教務所駐在教導の張崎さん、仙台組のお寺の若い副住職の関口さん・磯崎さんが同行してきました。

 お話を聞いてみると、朝5時の一番列車に乗って家を出発し、新幹線・飛行機を乗り継いで京都にやってきたということでした、そして、その中のお一人は、夜行バスに揺られて京都へやってこられたというのです。


 持って来られた課題は
  浄土真宗とは祖霊信仰や自分のみの幸せを追求する教えではない
  聞法とは自分を高めたり人生のためになることではない

ということを確認することでした。

 私などは京都に近いので、たびたび上山できるのですが、仙台ともなると、一生に一度のことかも知れません。

 私たちはどうしても目先にぶら下がっている事を解決するために、すぐに答えを得ようとしてしまいます。答えというよりも、もしかすると答えを達成させる手段・方法を手に入れたくなります。たとえば、
  どうか病気になりませんように・・・・
  どうか志望校に受かりますように・・・・
  どうか金持ちになれますように・・・・・

 一番目は「健康管理」に気をくばることですね。二番目は「勉強」することですね。三番目は「入るよりも出る方を低くする」ことですね。

 でも中には
  万事好都合にいきますように・・・・
 そうは問屋が卸さないのですね。

 人間というものは 自分の思い通りになることが大好きで 思い通りにならないことは大嫌い と言いながら生きている生き物
だそうです。

 要は精神の問題 心の持ち方 だ

と言われる方がありますが、「精神」や「心」というものほどあやふやなものはなのです。「紀元は二千六百年」と世間が浮き立つと、やはり私も同調してしまいます。心は移ろい変わるものと言われています。自分にとって損か得かという物差しがいつも働いています。そういう判断をすることを仏教では自我の分別と言います。

 人生を大切に歩んでいこうとするときには、やはり本当の物差しにあてがっていくことが大切なことなのです。

 今 いのちがあなたを生きている

 私を生きているいのちと本当に対話していくことこそ、最も大切なことですが、ついつい忘れています。いや、対話をすることを私は拒絶しているのかも知れません。

 そんなお話の三日間でした。三日目の朝、阿弥陀堂で親鸞さまとお約束を交わしました。みんなすっきりした顔になっていました。


旧ホームページからの移転

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました