広島・長崎 2008年


 今年も広島・長崎の日がやって来た。63年前、あっという間に多くの命が奪われ、多くの人が放射能の後遺症に悩まされる日が始まったのだった。
 6日の午前8時15分、9日の午前11時2分、宗玄寺では遥かな西に向かって手を合わせ梵鐘が撞かれた。「過ちは二度とくりかえしませぬから」と自分に誓って撞木の綱を引いた。

 毎年鐘を撞きに来てくださる方がある。ご門徒さんはもちろんなのだが、遠くから宗派や宗教に関係なく、広島・長崎を忘れないでおこうと思っている方なんだろうなぁと思う。

 長崎の前夜は北京オリンピックのとてつもない開会式が中継された。もう63年も経つと「忘却の彼方」になってしまうんだろうかと思っていたが、6日に続いて撞きに来られた方達であった。

 「人は自分のためには祈るが、他人のためには祈ろうとしない」という。「他人のために祈る」ということは、「衆生と共に」を生きようとする自分への誓いである。

 広島・長崎の犠牲者の追善供養ではない。「ごめんなさい。NOと言えなかった私たちがあったんです。そして今も、NOと言える勇気がありません。でも、二度と過ちは繰り返しませぬから」。

 平和というものは、多くの犠牲者の上に成り立っているとしたらとんでもないことだ。犠牲者を生まずに平和を築く事が大切なのに。

 「来年の広島・長崎も鐘を撞こうね」と誰かが言った。「来年までからだが持つかどうかは怪しいが、でも来年も顔をあわそうね」と応えていた。

 衆生と共に 衆生と共に 


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