子育ての原点


 昔は、子育てについて大切な四つの要(かなめ)があったのです。子どもがどんなにどろんこになって家に帰ってきても、学校でたとえ算数が0点であっても、そのことよりももっと大切なことを親はしっかりと教えたのです。
  ●ウソをつくな。 正思・正語
  ●ひと様の物を盗むな。 不偸盗
  ●こつこつ努力せよ。 精進
  ●耐え忍べ。 忍辱

ということです。
 でも今はどうでしょうか?。

  ●ウソをついてもいいから、他人より上に出ることがよい。
  ●誰も見ていなかったら万引きしてもよい。
  ●一攫千金をねらって、濡れ手で粟の儲け口はないか。
  ●少しでも恥をかいたら、他人を殺してもよい。

などということが社会に蔓延し、大人も子どもも率先して実行しているのではないかとさえ勘ぐりたくなるのです。

 人という生き物は、自分一人では生きて行けない動物です。そして、自分さえよければ……と思いこんでいる動物です。そして何よりも、人は完全に未熟児として生まれて来るのです。

 人間以外の動物が、こんなにも永く子育てをし、エサを与え、おむつを交換するなどということはないのです。キリンや牛などの草原にいる草食動物は、生まれて一時間もすれば、自分の足で歩くことも、エサを食べることも出来ます。端的なのは鶏です。卵の殻を破って出て来るや、ヒヨコはすぐに自分でエサをついばみ始めます。

 でも人間はどうですか?

 動物は、子どもが一人前になるのを見届ければ親の責任は全うされ、やがて寿命が尽きるようにプログラムされているのです。

 人間が他の動物に比べて寿命が永いのは、子どもが一人前になるのに永い年月が必要だからかも知れません。人間の大脳の発達は25歳になって初めて神経伝達経路(思考回路)が完成するということが証明されてきました。

 だからこそ、子どもを育てるということはとても大切なことになるのです。カエルや兎などの動物は、ほったらかしにしても、必ずカエルや兎に成長しますが、人間は、どんな育てられ方をするかによって、神経伝達経路の生成に大きな変化が起こっていくのです。

 人の平均寿命が延びたと簡単に喜んでいるのは、とんでもない錯覚かも知れませんねぇ。子どもが大人になる時間がどんどん永くなって、つまり、身体は大人でも、中味が子どもであるという事態が起こっているから、生命のプログラムが親の寿命を延ばしているのかも知れません。

 それは喜ばしいことなのか、情けないことなのか……。

 今の子育ては、どこか間違っているのではないでしょうか。どうも人類滅亡への子育てをしているように思えてなりません。

 そんなことを思いながら、ふと目についたのが、篠山市民生委員児童委員協議会の発行した「民児協だより(こども版)~ささやま~」に掲載されていた投稿です。

本当の愛情      M・M (一市民)

 「こんな事がどうして?」と思われる痛ましい事故や事件が後を絶ちません。いいえ、益々エスカレートしていくようにさえ思えます。

 私たち大人は、もう一度、足元をしっかり見つめ、住みよくて、みんなが幸せに生きて行ける世の中を子どもたちに遺していかなければなりません。

 この頃は、科学技術の発達と共に、様々な文明の利器が開発されています。しかし、これらを使いこなすことは、高齢者にとってはなかなか難しい問題です。インターネットで物を買い、すぐ近くの人とでも顔を合わせずメールで話し合う。人と会話をしなくても、ひとりで何でも事が運ぶ時代です。これは、ある面ではすばらしいことですが、反面、人と人とのかかわりが希薄になり、その結果、家の中でも地域でも、子どもが何をしていても、見て見ぬ振りをし、叱る事をしない大人が増えているように思われます。

 そのような中で育つ子ども達は、辛抱をすることを知らないし、人の迷惑になっても、相手の都合などお構いなしに、自分だけがよかったら良いという考え方になってしまいます。

 私たち大人は、これではいけないという事を互いに反省しなければなりません。「自分さえよければ良い」という考えでルールを守らない人は、人から信頼されず、人間として恥ずかしい事であるという点をしっかり教え、間違った行いをしたときは本気で叱り、その場で正すことが本当の愛情だと思います。

 「自分の子だけよければ良い」と言う『自子主義』はやめ、叱る時は、何がいけないのか、理由をきちんと伝えましょう。また、その時の気分や一時の感情に流されることなく、一貫性を持って叱る事も大切です。そして、大人自身も他から信頼され尊敬される存在でありたいものです。


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