大家さん 熊さんよ、あっちを見てみろ。
熊さん あっち て どこや?
大家さん ワシの手の先じゃ。
熊さん 手の先は指がある。
大家さん その指の先じゃ。
熊さん 爪がある。
大家さん その先じゃ。
熊さん 垢が付いとる。
という小話の入っている落語があります。
人、指をもって月を指う、もって我を示教す、指を看視して月を視ざるがごとし。人、語りて言わん、「我指をもって月を指う、汝をしてこれを知らしむ、汝何ぞ指を看て月を視ざるや」(引用 真宗聖典358頁)
人は指を指して 彼処に月があると教える。だから私はあなたに言葉で教えを示すのだか、あなたは私の言葉だけを云々して、教えそのものを聞こうとしない。
どうやら今も昔も、人は目先の事だけに気がついて、その先の事までには思いが至らぬようです。プロ中のプロを自認していても、根本を忘れると、プロ中のド素人にもなりかねませんねぇ。単に演説の上手い人、つまり、巧言令色少なし仁 ということもありまして、「大智度論」では、言葉は単に教えを示す手段であって、その手段に惑わされてはならないということを言っています。
就人立信という言葉がありまして、信心を立てるのに、個人の魅力?にごまかされてはならないということです。肩書きのある人が言い、テレビに出ている人が言い、権威のありそうな人が言うと、ついコロリと信じてしまうのですねぇ。
就教立信という言葉はないようですが、人に就くのではなく教えに就くことが大切なのです。
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