妻と三十八年つれ添ったあいだ、彼女が最も変わった時期が二度あります。一度は二十年前「洗礼」を受けてからです。二度目は三年前病気が発覚してからの人生です。今から思えば、再発と死がいつ訪れても不思議でない日々の中で、「自分に残せるものは何か」を考え、選択しながらの暮らしであったように思います。召天した妻は、これからの私の人生を見守るだけでなく試しているように思えてなりません。
(夫)
信仰の証しとしての母の人生の陰に皆様の支えがあったことをこころより感謝します。私も皆様の力をお借りしながら正当な生き方を証せる人生を送りたいと思います。
(長男)
母が亡くなるまでの数ケ月、懸命に生きようとする母のそばにいることができ、触れていられることが幸せで楽しい毎日でした。同時に一人の人間の存在の大きさ、尊さを思い知らされた時間でもありました。母が天に召されてから前よりもずっと近くに母を感じて日々を過ごしています。身をもってたくさんのことを教えてくれた母に心から感謝しています。
(長女)
母の死は私をひとまわり大人にしてくれました。人が死んでいくとはどういうことなのか身をもって体験できたのも、母だったからできたことだと思います。生きていくことにはもちろん意味がありますが、死ぬことにも意味があり、そこで全てが終わってしまうということではないのだということを強く感じました。私の人生の中でこの数ケ月間が大きな節目になったことは間違いありません。
(次女)
母は闘病生活の中で意識障害になりながらも、周りの人に対する感謝と労いの言葉を忘れませんでした。消え入る声になりながらも周りを気遣う母を、人として尊敬し、母として誇りに思いjます。まだまだ母の助言を必要とする自分ですが、感謝の気持ちをもって生きた母を見習い頑張っていきたいと思います。
(次男)
満中陰と記念会のお印として心ばかりの品を届けさせていただきます。
『いつでも会える』は妻(母)が召天した直後に私達が出合い、心の支えとなった絵本です。ご家族で読んでいただけると幸いです。
表題の『すべてよきことかな』は故人が台所に吊した風輪の短冊からとったものです。
三年前、病気が発覚した時に書いたものですが、手術後の療養中も再発と死の不安の中で、自分に言い聞かせて生きた深い思いを語る証として今も揺れています。
こんな栞とともに、一冊のかわいい絵本が、私の手元に直接ご本人から届けられました。
栞を読んで、そして、その絵本を開きました。
絵本のタイトルは『いつでも会える』
菊田まりこさんの絵本でした。
シロという犬と、みきちゃんという女の子との出合と別れの物語が、見開きのページに、短い言葉とイラストで描いてありました。
涙がふーっとにじんできました。
それは5月8日のことでした。その夜、お花まつりの法要がありました。さっそく、その栞と絵本とのお話を、皆さんに聞いていただきました。
絵本の中の言葉は短くて、このページでも簡単に紹介できますが、著作権もありますから、どうぞ、お友達に借りるか、本屋さんで求めて、読んでみてください。
最愛のご家族を亡くされても、寂しさがいっぱいでも、目をつぶると、そこに居て、耳を澄ますと、その声が聞こえてくる。
そのことこそが、生き続けている関係なんだなーって・・・・。
『いつでも会える』 菊田まりこ著
1999年ボローニャ児童賞・特別賞受賞
学習研究社 ¥950
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