大事に生きるとは


 (財)人権教育啓発推進センターが発行している小冊子「アイユ」のVol.99号の中に、「激動の二十世紀から人権の二十一世紀へ向けて 今 私たちに求められているもの -考えよう あなたの人権 私の人権- 」という長いタイトルのフォーラムの概要が掲載されていた。 その中から、またその概要を拝借した。 

牟田悌三さん (俳優・世田谷ボランティア協会理事長 等)

 民主主義のおおもとになる個人主義というのは、一人一人の人権を尊重しようよ、そのためには、いろんなところに気が配られていないと…、という主義。
 自分中心の生き方に流れてきちゃって、平等ということも、うまく伝わらなくて、勝手気ままという方向に流れていったような気がする。

 一人一人違いがあるということに人間の重みや価値があり、お互いがそういう認識を持つということが大事なのですが、同質になる、横並びになることが平等であるみたいな考え方になってきたのではないか。

アグネス・チャンさん (教育学博士・日本ユニセフ協会初代大使)

 カナダへ留学して、「他人に迷惑かけるな」は幻だっていうのがわかりましたね。

 人間は生まれながらにして迷惑をかけあう存在です。赤ん坊はほっといたら絶対に死にます。
誰かが抱いて、誰かがおっぱいをやらなければ成長しません。
 ちょっと働けて自立したかなと思うと、あっという間にまた歳をとって誰かの世話になります。これが自然なんです。誰もが行く道です。

 私たちは迷惑をかけあう存在なんです。でも人間の美しいところは、迷惑をかけあっているのに許しあって、大事にして、思いやりあるところです。

 「迷惑かけあっているのよ、ひとのためにならなきゃいけないの」と教えたほうがいいのかもしれないと思います。

ジェフ・バークランドさん (帝塚山学院大学人間文化部教授)

 文化を大きく分けて、「発信文化受信文化」という分け方があります。

 二十一世紀の人権の法則は、相手がして欲しいことを相手にしてあげなさい、ということです。

 自分にしてほしいことを相手にしてあげない、というのは、自分の価値観、自分の立場を相手に強制するということになるので、まず相手に耳を貸す、相手の気持ちを読みとる。

 非常に強い受信文化の日本は、世界のいろんな文化を聞く。その立場を理解して、そして相手のしてほしいことをしてあげる。

 これが二十一世紀の人権の基本になるんじゃないかなと思います。

塩谷義子さん (熊本県副知事 等)

 憲法のおよそ三分の一近くが人権に関わる条項で占められているにもかかわらず、日本社会は人権を大切にしてこなかったということを率直に認めざるを得ないことに気づかされました。

 副知事になって、もう一度熊本県行動計画を見たときに、愕然としたことがあります。それは、地方自治法の中に「人権」と言う言葉がないということです。

 行政に心を通わせるということは、とりもなおさず人々が幸せになるためのニーズを公務員という領域の中から、どう吸い上げていくかということと深い関係があると思います。

アグネス・チャンさん

 天国と地獄は同じなんだそうです。ごちそうがたくさん並んでいる丸いテーフルがあって、とっても長い箸があって、みんなで食べようとしている。

 地獄の場合、長い箸で自分の口に運ぼうとするんですが、箸が長すぎて絶対に自分の口には来ない。欲求不満になっていらいらして、「あなたのせい」と大騒ぎになっている。

 天国の場合は、長い箸で相手の口元までこちそうを運びます。食べ終わったら自分もまったく同じことをやってもらう。
 おなかいっぱいになって、余裕が出てきて、話が咲いて、和気あいあいで、とっても楽しくて幸せいっぱい。

 今の私たちの世界は天国に近いのか、地獄に近いのか、本当に考える時期に来ているのではないかな。
 どっちの人間の方が多いかによって、次の二十一世紀が変わってくるんではないかと思います。


旧ホームページからの移転

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました