梅原猛さんの中学生を対象にした授業の様子をテレビで放送していた。
最初に生徒達にアンケートをとり、その結果を授業に取り入れていた。授業は「宗教」についてであった。
「宗教を信じますか?」という問いに、10人の生徒が「信じます」と答え、23人の生徒が「信じない」と答えていた。授業はそこから始まった。
仏教というものは・・・・、と梅原先生の話が展開していく。
諸行無常・・・・全ての物はいつまでも同じ状態ではない。
という仏教の三宝印の一つを例に出して説いて行かれた。なるほど、人間もいつまでも同じ状態ではなく、やがて年をとり、死んでいく。それは、真理である。
愛別離苦・・・・いつまでも一緒にいたいと思っても、別れなければならない。これも実際に必ず経験する真理である。
怨憎会苦・・・・逢いたくない者と一緒に仕事をしなければならない。こも実際に経験する真理である。
四苦・八苦の中の二つを例に出して説いていかれた。
仏教は、人間が生きていく上に大切にしなければならないことを説いている。その根源は、八聖道と六波羅蜜であると話を展開されて行った。
八聖道(八正道)とは
正見・・・・・・正しく物事をみること。(四諦を自覚した見解)
正思惟・・・・心の行いを正しく保つこと。
正語・・・・・・正しい言葉を語る。嘘をつかないこと。
正業・・・・・・身の行いを正しくすること。自分に恥じない行いをすること。
正命・・・・・・正しい生活をすること。
正精進・・・・正しく努力をすること。
正念・・・・・・正しくものごとを見ると言うことを心にとどめて忘れないこと。
正定・・・・・・正しい精神統一。ひととしてあるべき方向を見失わないこと。
六波羅蜜とは
布施・・・・・・ひとに物を分け与えること。分かち合って生きていくこと。
持戒・・・・・・戒律を守ること。人間としてしてはならないことを守ることがお互い を尊びあう。
忍辱・・・・・・耐え忍ぶこと。そのことが次の踏み台になっていく。
精進・・・・・・自らすすんで努力すること。こつこつ努力をする。
禅定・・・・・・心を統一すること。迷いやざわめきに左右されないということ。
智慧・・・・・・欲得で判断しない力。
を取り上げて話を展開されました。
その中で、どうも今の社会を見ていると、このお釈迦様の説かれている、「人として当然実践して行かねばならないこと」が、どうもおかしくなっている。
食品の偽表示、汚職、殺人、泥棒・・・・。数えたらきりがないし、実践している人がいない。
野球のイチロー選手を引合に出して、人生を生きていく上で、これだけは絶対必要なのですと、その中から四つを取りだして生徒達に示されたのが、精進・禅定・正語・忍辱でした。
「仏教の教えは、あなたが『信じる・信じない』というような、あなたの判断で決めていくようなものでしょうか?」 と、生徒達に話しかけられました。
世の中には、「信じている」と思っているけれども、その信じている中身は、「私にとって都合の良いことが起こりますように・・・」という中身なのです。そして、あるいは、あやふやな迷信であったりするのです。
八聖道や六波羅蜜の中身を知っていくと、それは「信じる・信じない」の問題ではなく、必ず身につけて生きて行かねば、人間の共同社会が成り立たないということなのです。
梅原先生は、授業の最初に、「仏教を信じているか 信じていないか」から入られました。しかし、その「信じていない」という意味が、授業を通して明確になってきました。
人生とは「人を生きる」と書きます。人を生きない者を、「畜生」といいます。つまり「畜を生きる」のですから。
「仏教は死者の供養の為の呪術ではない」と何度も話をしたり、このホームページにも書いてきました。仏教は、まさに今生きている私の人生を、いかに人として生きていくかというための「教え」なのです。
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