子どもたちと

人間を生きるとは

 平成11年11月21日。中学校の全生徒と保護者700人が体育館に集まっての人権学習の日。折しも朝から、「こんにちは。おひさしぶりで」と、歓迎すべくもない痔の到来。痔核が破裂しての大出血。しかし、約束は約束だから、お話に出かける。「ひょっとしたら途中で救急車が要るかも知れん」なんて話をしたら、学校の先生が心配顔。後日、話を録音されていたので、それをRewrightした。一太郎のフォルダーに眠っていたからアップロードすることにした。もう2年も前のことだったけど。1時間半もの時間、居眠りもせず、ひそひそ話もせず、子供達は目を丸くして、全身を耳にして聞いてくれました。

 『人間を生きるとは』という題で、私がお話をする事になっていたのだ。約1時間半のお話で、最初は子供たちがちゃんと退屈せずに聞いてくれるか、ちょっとばかり心配でもあった。

 話のポイントは、人権という言葉はHUMAN RIGHTSという語の日本語訳であること。人権は生まれながらに保障されているのではなく、自ら守り育てていかないと成立しないこと。そのための具体的な納得のために、オタマジャクシは成長するとなぜカエルになるということのを知っているか、オオカミ少女のアマラとカマラらの話、占いや六曜のこと、そして、目を閉じて「元服」の詩を・・・・。

 話の終わった後、生徒たちは教室でそれぞれ感想文を書くことになった。そんな感想文の一部を先生から頂いたので、その中のまた一部を紹介する。子供たちの感性を読んで頂きたいのだ。
2001,12,30

話の中身

人権という用語は

おはようございます。

 私は帰るとお寺の坊んさんをしています。ですから大抵、死んだ人をよく相手にしています。昨日もお葬式をしてきました。

 こうしてみなさんの前でお話をするなんて、私の母親は、夢にも思っていませんでした。それは何故かって言うと、幼稚園の時には学芸会に出るのがいやで逃げ回っていました。小学校の一年生の間は、毎日母親がついていてくれないと学校に行けない子どもでした。そんな人間が、みなさん方の前でお話をするようになって来たんですから、だいぶん心臓に苔が生えて来たんだなと思うんです。よくご存じの人が居られますので、近くの坊主はありがたないと言う言葉もあるとおり、こっちも話がしにくいんですけども、まあ気張ってやりますから、しばらくお付き合いをして下さい。

 人権学習と言うと、大変しんどい学習のように思います。なんとか時間が早よう来たら良いのにとか。それから人権ということは、俺とは関係のないことや、他人のこっちゃて思ってしまいます。日本語が悪いんですね。

今日誕生日の人ありますか?
11月の21日という、今日生まれた人、いっぺん手あげて!
一人ぐらいおらんか?
一人!
あそこに一人おった! 
はい立って! 

 悪いなー。ちょっと起立してください。そしてね、前へ出て来てほしいんですが、黒板に簡単な英語を書いて欲しいんです。
 私は、英語は単位未修了やったもんやから、うまくスペルが書けないんです。中国語も習ったんですが、いつも負けました。(麻雀のこと)
 簡単な英語を書いて欲しいんですが、もし、万一自信がなければ、友達を連れて前へ出てきて下さい。お願いします。

みな、拍手で迎えようや。  (パチパチバチ)

 そんなに難しい単語やないですから、ちょっとぐらい間違うとってもええよね。きょうび大学生で分数の計算できん大学生が四分の三おるそうですから、単語書けなくったって生きていけます。
大きく後ろに見えるように、二段でいいですから書いてください。

 「HUMAN RIGHTS」。  (ガヤガヤガヤ)

 「HUMAN」  「RIGHTS」と書いて下さい。

 「HUMAN」人間。 (書けずに困っている)

だれか? 困ってるときは助け合うんよ!。

困ってる時は助け合おうや!。
 (先生も出て来る 拍手)

何でアメリカの子は英語がしゃべれるんかね?
不思議やね。
生まれたところの国の言葉がちゃんとしゃべれるというんは不思議やなーと思うんです。大きい字で書くんよ。
合ってますか? 

拍手!  (パチパチバチ)

ありがとう。

 人権という言葉はね、日本語なんです。日本で作った言葉なんです。もともと人権という言葉は、日本語にはなかったのです。人権というように訳すもとは、「HUMAN RIGHTS」という言葉があったのです。これは世界で共通なんです。ところが日本では、日本語に直さないかんから、漢字を当てはめたのです。そこで、人権という言葉を使ったのです。けれどもこの「HUMAN RIGHTS」という言葉ね、直訳してみたらどないなるでしょうかね?。

 明日誕生日の人おらんか?。

当てられたらかなんなー、言うて一年中誕生日のない子がいっぱい出来るんちがうかな?。

(手あげる子)

ぼく、ああ君いこ。直訳してよ。

「ええと、人間は・・・」

「は」も何もいらんから。

「人間 正しい」

「人間 正しい」っやて。いいですかみなさん?。

いいと思う人は・・・ (拍手)

それでええと思うよ。

「人間 正しい」んや。

逆に言うたら 「正しい人間」やんか。

じゃそれはね、人に要求することかっていうと、せやないやろ?。
「人権」「人権」と言うとるけど、もとはそういうことやったということです。


オタマジャクシはカエルの子?

 これ、何に見えるでしょうか?
( オタマジャクシという小さな声)

オタマジャクシかー?
オタマジャクシに賛成の人は手あげて。
あー、三分の一ぐらいか?

後は違うんやな?

何に見えるんや?僕は?

「K君」 ( 照れる)
「さかな」
「さかな」はい。 (隣の子にマイクを向ける)
「オタマジャクシ」
いろいろ見えるけれども、私は実はオタマジャクシのつもりで書いたんです。
絵がへたくそなんで申し訳ないんですが。
オタマジャクシは大きくなると何になりますか?
「カエル」

何でですか?  (ガヤガヤ)

オタマジャクシは大きくなるとカエルになるっていうことに賛成の人は手上げてん?。

お母さんはみんな手上げへんぞ。

大多数もあがってない。三分の一ぐらい。

今手あげた人に、返事はいいですから、心の中で返事しながら聞いてね。

オタマジャクシは大きくなると何故カエルになるということをあなたは知っているのですか?

チリメンジャコが大きくなると何になりますか?

魚になるんやね。じゃトカゲが大きくなると何になる?

トカゲはトカゲやな?

トカゲが大きくなって、ワニになったちゅう話は聞かんのです。

オタマジャクシは大きくなると、子どもの時と同じような格好ではなしに、足が生えて手が生えて、尻尾が短くなって、そしてカエルになるっていうことは、みんな知っていますね。

 それは、田圃からオタマジャクシをすくってきて、洗面器に飼って、ずっと観察をしていたら、カエルになった。だからオタマジャクシはカエルになるんだって事を確認した人もあるでしょうし、絵本を見て、あるいは理科の図鑑を見て、オタマジャクシがだんだんカエルになっていく様子を絵で見て知ってる人もあるかも知れません。そして、そんなもん何も見てないけど、おじいちゃんやおばあちゃんが、オタマジャクシは大きいなったらカエルになるんやっていうことを教えてもらって知ってる人があるかもわかりません。

 オタマジャクシはカエルになると、春が過ぎて夏が近づくと、田圃の中でラブコールをして、そして卵を生んで、オタマジャクシをまた育てて、そして秋が過ぎていくと田圃の土手に穴を掘って、そして冬眠をしていきます。

 次の春が来ると田圃の中からまた出てきて、そしてまた卵を生んでオタマジャクシを育てて、カエルの一生をキッチリと生きていきます。誰にも教えてもらうことなく。

そうでしょ?

合点してくれるか?

アマラとカマラ

 今から写真を見せますから見て下さい。 (ステージにOHPで映写)

これはちょっとね、見えにくいかもわからんけど、80年前に撮されたて写真です。
何に見えますか?
人間に見えるか?
みんなのお家で、犬や猫を飼ってる家あるでしょ?
犬や猫に餌をやるとどんな格好して食うかな?

カマラがミルクを飲む

あんな格好やなかったかな?
犬がお茶碗を持って、箸をもってご飯を食べたってことは聞かんね。見たことないね。
けれども、あの写真見てください。
まるで犬か猫が餌を食べている姿ですね。

 この話は英語の教科書にも出てたそうですが、いまからちょうど80年前にインドのベンガル地方というのですから、インドの世界地図をちょっと頭の中に浮かべてみると、逆三角形になってて、右側の上の方にベンガル地方というのがあるんです。で、その村はずれの森の中に、お化けが出るということで、村の人達が化け物退治に行ったのです。そうするとね、オオカミのようやけどオオカミではないし、寅でもないし、なんや可笑しげな物が一緒にオオカミと走り回ってるわ、ということで、キリスト教の宣教師さんと村の人達が一緒になってもっぺん探検に行きました。

 そうすると、ものすごい大きな蟻塚の中を洞穴にして、そこに巣を作っていました。

 村の人達がその入り口に近づいていくと、中から1匹のオオカミが牙をむいて出て来ました。そして、村の人達にかみつくようにして逃げて行ってしまいました。

 次にもう1匹オオカミが出てきました。そうすると今度はそのオオカミは、村の人達が近づかないように、必死で穴を守ったそうです。雌のオオカミやったそうです。

 村の人達は弓でそのオオカミを殺して、そして穴の中に入りました。入るとね、4匹のオオカミの赤ちゃんと、2匹の化け物がおりました。4匹のオオカミの赤ちゃんは、村の人達に宣教師さんはあげました。残った2匹の化け物を、宣教師さんがやっていた当時孤児院と言われてた親のない子を育てる施設をやっていましたから、そこへ連れて帰りました。
 そして、頭の毛をハサミでジョキジョキと切ってみると、形は人間やったんです。ところがね、よくよく調べてみると、ひとりはどうも6歳半ぐらいの歳やったんです。もう一人は1歳半ぐらいの歳やったんです。形はもう人間なんです。けれどもね、毎晩夜中になると、「ウオー」って遠吠えをしたそうです。「私はここにおるぞー」って仲間に知らせたそうですが、人間の言葉は一言もしゃべれませんでした。

 二人に名前を付けたんです。大きい方の子どもにはカマラという名前を付けました。小さい子にはアマラという名前を付けました。「赤い花」「黄色い花」という意味なんだそうですが、この二人、そこで一所懸命育てたんですが、アマラの方は、1歳半ですが、アマラはね、ちいちゃかったんですが、人間の言葉らしきものを二つだけ覚えました。一つはお腹が空いたときの言葉です。
一つはお腹が空いたときに「ブー」と言いました。
「お腹が空いた。何か欲しい」と言うときに「ブー」と言いました。
そしていつもご飯をくれる宣教師の奥さんのことを「マー」と言いました。「マー」。

 この子は1年間だけ生きていました。そして死んでしまいました。わずか二年半の人生でしたが、しゃべれた言葉は「マー」と「ブー」の二言だけです。

 けれども一緒に育てられていたカマラの方は、ちっちゃい方の子どもが「マー」「ブー」と言っても、なかなかその言葉は言えませんでした。
 カマラはね、ちゃんと飼育日誌が残っていますからはっきりしているんです。11年間牧師さんに育ててもらいました。17歳半迄生きたということですね。

 17歳と言うたら、君らより、ここにいる中学校のみなさんよりはもちょっと歳いっている。

 17歳までの間、しゃべれた人間の言葉はたった40しかしゃべれなかったのです。

 あななたちはね、沢山の言葉を今しゃべっています。もう二万語以上はしゃべっていると思うよ。
飯食う 寝る 鉛筆 名札 学生服 スリッパ 靴下 髪の毛 散髪屋さん ご飯 箸 お茶碗 蛍光灯 学校 教室 ね。

そういうたらそうでしょ?

いっぺん勘定してみ。 そんな時間があったら。

 たぶん二万語ぐらいはキッチリ知ってると思うよ。けれども17歳まで人間に育ててもらったけれども、カマラは40の言葉しかしゃべれませんでした。

 16歳の時にやっと、今私が立ってるように何かにつかまって、二本足で立てるようになりました。歩く時はね、一つか二つの子がヨチヨチ歩くように、歩けるようになりました。

 こうして・・・。こうして歩けるようになりました。

けれどもびっくりして走る時は、あーんな格好で走ったのです。
ですから、膝と肘にはいつもタコができていたそうです。

 一番の好物は何かっていうと、生きたニワトリをくわえて竹藪の中に走り込んで、それを生で食べてたそうです。次の好物は腐った肉が好きだったそうです。

 あれねー。もう16歳ぐらいなんですよ。こっち側にいるおばあちゃんみたいな格好している人、牧師さんの奥さんです。アマラが「マー」と言った人です。両側にちっちゃい子どもが立っていますが、あれはお父さんやお母さんがなくって、牧師さんが一緒に生活してた子どもたちです。ちゃんと記録に残っているんです。

 今ビスケットをもらっているところなんです。みんなはビスケットをもらうときにあんな格好していますか?
犬や猫がビスケットをもらったり、竹輪の端くれをもらったりして、近づいて来てもらおうとすると、あんな格好でしょ。

 最初にね、オタマジャクシの話をしました。オタマジャクシはオタマジャクシに生まれてもちゃんとカエルになって、カエルとして生きて行かなければならないことをちゃんと知ってるんです。本能的に。

 ところが人間はね、人間の身体をして生まれてきても、どういう風に人間を生きて行こうかということを学習しないと、人間は人間にはなれないのです。

 生まれっぱなし、ただご飯を食べるだけ、テレビを見るだけ、それはね、身体は大きくなっても、言葉は悪いけれどもウンコ製造器にしかならんのです。

共命之鳥

 極楽という世界があってね。死んだら行くんやそうですが、死んでから行ってはあかんと思うんやけどね。共命之鳥ぐみょうしちょう)という鳥がおります。ちょっと絵下手なんでこらえてね。

 こういう鳥が極楽には棲む。お経の中に書いてあります。共命之鳥というんです。共なる命の鳥。この鳥が考えたんですね。餌があったんです。片一方の首と、もう一つの首とが一つの皿の餌を食べかけたんです。

ところがね、どっちにも脳味噌があるから考えたんですね。
こいつがおらへんだら、わしは全部の餌を食べられると考えたんです。

こいつさえおらへんだら。

この絵で言うたら、これがおらんかったらこの餌を一人で食べられるって。

片っ方の頭が片っ方の頭をイジメにかかったんですよ。
突ついて 突ついてしたんですよ。
これがおらにゃ、ワシャこの餌全部食べられるって。

とうとう片っ方の、こっちの方の首が 突つき殺されてしまいました。

こっちのね、残った首は喜んだ。これで全部ワシが食えると思たんです。

ところがね、気がつくと、こっちの首は腐りかけたんや。死んだから。

あれよあれよという間にどんどんどんどん腐ってきた。胴体一個やもんね。どうなったかわかるでしょ?

独り占めしてやろうと思った方も、気がついたら自分も腐りかけたのです。そして死んでしまったのです。

これはね、何を言ってるかって言うと、俺さえ良けりゃええねんという考え方をしておったら、やがて自分も同じ土壺にはまるでと言うことですよ。

そのへん分かるか?

ここまでの話、わかる! という人、いっぺん手たたいて!

わからん子?

ええよ、別に恥ずかしいこっちゃないよ。人が、横がたたくからいうて私もたたくいうのはあかんで!

私はわかったと言う人だけ手たたいて!

  (パチパチパチ)

ありがとう。

 ちょっと話をもう少し具体的に、みんなが勉強してることに少し触れていきます。

六曜迷信について

この頃ね、占いがはやったりいろんなことしてんねん。
あんなもん信じたらあかんぞ。
人間は弱いから何んか教えてもらおうと思うてあんなとこに首突っ込むねん。

こないだからニュースでやっとるでしょ。
何かグルやいうて。死んでる人がまだ生きてる言うて。やってた人があったわなー。
死んでるいうた方が間違うとる言うてね。言うてるやつがあったけど、あまり言わんとこ。

 この中に大安やとか仏滅やとか、友引やいうのを信じてる人たくさんあるんやないかと思うんです。

今日は何曜日やったいねー。日曜日やな? 日曜日はどんな日なの?

縁起の良い日なんか、悪い日なんか。関係ないやろ?

日曜日は学校が休みの日やんなー?

 少年野球いっとる者は少年野球行くし、バレーボールやる者はバレーボール行くし、塾行きたい人は塾行ってるし、サイクリング行きたい人はサイクリング行ってるし、家でお菓子作るのが好きな人はお菓子つくってるし。ね。のんびり暮らせる日やんか。今日は日が良いとか日が悪いとかって、おかしいね。

 けれども旧暦で言うとね、大安とか仏滅とか言うて、いろいろ言うてる人があるんです。どっかの、とんでもない偉い人が占うて、今日は仏滅にしよう、今日は大安にしよう。ね、大安の日の午前中に退院をすると縁起がええからと。大安の日の午前中に退院したからと言うて一生病気をせずに暮らせるかというと、そんなことはないん。

 死んでも命があるということは絶対にないの。たぶんみんなの持ってるそのチラシの中に、その大安がね、大安がええとか悪いとか言うて、月火水木金土は七曜で、そんなもん書いてあるとこあるでしょ?

 これ信じたらあかんでと言うこと書いてるんよ。これ信じたらあかんねんで。これこうやからいうて、学校からもろたプリントにこんな事あったからいうてこれ信じたらあかんねんで。これを信じない生活をせなだめなんですよ。根拠のないものは信じない。

 で、どないして大安が決まってるかというのを、簡単に非常に難しい数学で説明しますから。

 大安とかね仏滅とか友引とかの日を決めるのは、簡単な算数なんです。みんなが今使ってるのは新暦です。新暦。ところが日本は昔は旧暦というのを使っていました。旧暦。

 旧暦の一月は28日や。な。

 で、旧暦の何月何日というのはカレンダーの中に書いてあります。この数字を使うとすぐに計算ができます。

あんた一番前やもん。一番短い。一番早く来られるから。

はい。

 じゃ、今日は旧暦の何月何日かは私は知りませんけれども、仮に11月21日だったとしたら、計算は、この式を解いてください。

どうぞ。

分数が出来なくっても決して恥ずかしくないですよ。さっき言ったように大学生で分数の計算が出来ない人が四分の三いるそうですから。

 今日11月21日なんです。この数字を当てはめてこの計算をしてください。ただし小数点を求めなくてもいいです。

 (計算中)

はい、その次。

 (計算中)

余りはなんぼになる?
6分の32は、32を6で割るとなんぼで割れて余りはなんぼになるかということです。

(計算中)

余り2。
5×6=32。
合うてますか?
合うとったら拍手してあげてください。

 (パチパチパチ)

はい。ありがとうございました。

ここが問題なんです。この「余り2」のとこなんです。
「余りが0」やったら大安なんや。
「余りが1」やったら赤口。赤い口と書くねん。
「余りが2」やったら先勝なん。

ただそれだけの順番だけなんや。その順番だけのことに世の中は右往左往して、お見舞いを持っていくのに、大安やなかったらいかんねん。大安に結婚式をしたら一生幸せに暮らせるかというと、帰りの成田の飛行場で離婚する人もぎょうさんあるねん。

えーか?

 そんなことにこだわって、私たちが生きていくということは、「HUMAN RIGHTS」やろか?

 このごろ丹南町では、お葬式の時の香典返しに「清め塩」はもうほとんどなくなりました。そして、火葬場から帰ってきたり、お墓から帰ってきたら、「踏み塩」といって、タライの中にワラ入れて、塩入れてね、その中をいっぺんクシャクシャと踏んでから家入るんやてやってたけれども、ほとんどなくなってきました。そんなことしなくなりました。なぜ。じゃなぜそんな塩をね、かけたりふったりしてたんかって言うことを考えたんですよ。大人の人は。

死んだらね汚いものになるんですか?

朝まで、おじいちゃん、おばあちゃん 言うて親しんで大事に大事にしていた人が、亡くなった途端に、怖いもののようにして、もう私のそばに来ないでください、そして遠ざけていく、そんな出会いがね、いいのでしょうか?

人間として、おばあちゃんを大事にしてきた姿が、そうなんでしょうかね?

よくよく考えてみるとね、人間というものは、自分にとって都合の良い事は大好きで、都合の悪いことは大嫌いと言いながら生きとらんかね?

自分にとって都合の良いことは大好きやもんね。都合の悪いこと嫌いやね?

けれども都合が悪い人とされた人の方の立場に立ったらどうなん?

カレンダーの中にこんなんがあったわ。

「あの人と行くのはいや。あの人と一緒なら行く。私はどっちのあの人なんだろうか。」
って。

あの人と言われた時の私は、どっちのあの人になってるんやろうって。よう考えてみーよっていうカレンダーがあった。

 ここに書いてある六曜とか、月火水木にちょっと解説がありますけど、これはそのまま写したんで、これ信じないでくださいね。

 ちょっと目つぶってくれてですか、みなさん。

 「僕は今年の三月に担任の先生にすすめられてAと共に○○高校を受験した。○○高校は私立ではあるが、全国の優等生の集まってくる、いわゆる有名校である。担任の先生から、『君たち二人なら絶対に大丈夫だと思う』と、強くすすめられたのである。
僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと、僕は猛烈に勉強した。
 ところが、その入試でA君は期待通りにパスしたが、僕は落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底へ落ちてしまったのだ。何回かの実力テストでは、いつも僕が一番で、A君はそれにつづいていた。それなのに僕が落ちてA君が通ったのだ。
 誰の顔も見たくない惨めな思い。父母が部屋に閉じ込もっている僕のために、僕の好きなものを運んでくれても、優しい言葉をかけてくれても、それがかえって癪にさわった。何もかも叩き壊し、引きちぎってしまいたい「怒り」にもえながら布団の上に横たわっているとき、母が入ってきた。
 『Aさんが来てくださったよ』という。
僕は言った。
『母さん。僕は誰の顔も見たくないんだ。特に世界中で一番見たくない顔があるんだ。誰の顔 か言わなくってもわかるだろう。帰ってもらってくれ』
母は言った。
『折角わざわざ来てくださったのに、母さんにはそんなこと言えないよ。あんたたちの友達関係って、そんなに薄情なものなの? ちょっとまちがえれば敵味方になってしまうような薄っぺらなものなの? 母さんにはAさんを追い返すなんてできないよ。嫌なら嫌でそっぽを向いていなさい。そしたら帰られるだろうから』
と言って母は出ていった。
入試に落ちた惨めさを、僕を追い越したこともない者に見下され、こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、僕は気が狂いそうだった。二階に上がって来る足音が聞こえる。布団をかぶって寝込んでいるこんな惨めな姿なんか見せられるか。
 胸をはって見据えてやろうと思って僕は起きあがった。戸が開いた。中学の三年間、A君がいつも着ていたくたぶれた服のA君。涙をいっぱいためたクシャクシャの顔のA君。
 『懸岡君。僕だけが通ってしまってごめんね』
やっとそれだけ言ったかと思うと、両手で顔を覆い、駈け降りるようにして階段を降りて行った。
 僕は恥ずかしさでいっぱいになってしまった。思い上がっていた僕。いつも『A君なんかに負けないぞ』とA君を見下していた僕。その僕が合格して、A君が落ちていたとして、僕はA君を訪ねて行って、『僕だけが通ってしまってごめんね』と、泣いて慰めに行っただろうか。ザマー見ろと余計思い上がったにちがいない自分に気づくと、こんな僕なんか落ちるのは当然だと気がついた。彼とは人間の出来が違うと気がついた。
 通っていたら、どんなに恐ろしい独りよがりの思い上がった人間になってしまったことかと。落ちるのが当然だった。落ちてよかった。本当の人間にするために、天が僕を落としてくれたんだと思う。悲しいけれども、その悲しみを大切に出直そうと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。僕は今まで、思うようになることだけが幸福だと考えてきたが、A君のおかげで、思うようにならないことの方が人生にとって最も大事なことなんだということを知った。
 昔の人は十五歳で元服したという。僕も入試に落ちたおかげで元服することができた気がする。」 

 はい目開けて。

 懸岡君、彼はね、この作文の中で、三回「気がついた」と書いています。「気がついた」「気がついた」「気がついた」と言っています。

 人間はね、気がついたらね、気がついたことを一つづつ一つづつ実行をして行くんです。実行が出来ないのは、気がついたとは言わんのです。教頭先生のお話の中で、車椅子体験やらアイマスクをして、体験学習したそうですね。

 気がついたでしょ? どれだけアイマスクをして歩いたら怖かったか。車椅子でどれだけ階段がしんどかったか。気がついたらね、どうすりゃいいのか。前へ進まなあかんのですよ。

 人権は大事やって、外国人のこと、それからスリランカへ行ったこと、こないだ、ここで発表してくれた人が四人ほどありましたね。

 気がついたんですよ。気がついたらね、私に出来ることは何かって、それをするんです。しなかったら、さっき絵みせたでしょ。人間の身体をしているけど人間でないんです。

 刑務所行ってね、10年か15年ほど刑務所の中で暮らして、そして刑務所から出ていく時にね、挨拶をして出ていくんやそうです。刑務所から出ていく時にどんな挨拶をして出ていくと思いますか?

 T君?

 (ゴチャゴチャ)

 君やったらどんな挨拶をするかとは考えたらあかんねん。他人は、だって君まだ行ってないもんね、刑務所ね。いっぺんは行ってみてもええかもわからんけど、なるべくなら行かんほうがええよ。けれども刑務所から出て行く人は、どんな挨拶をするかなーと想像して言うてみてください。

「お世話になりました」(T君)
「お世話になりました」(女生徒)

いや、他人のことやから簡単に言うたらええ。
「ありがとうございました」(女生徒)

Aさん。
「ありがとうございました」(女生徒)
「お世話になりました」(男生徒)

Mさん
「お世話になりました」(女生徒)
「お世話になりました」(男生徒)」

それだけか?

はい、ええよ。それだけ言えたら。

 百人のうち二人ぐらいあるんやそうです。「次もまたよろしく」と言う人もあるんやそうですが、刑務所出る時にな、「この次もまたよろしゅうお願いします」言うて出る人もあるそうですが、今聞いたのは、(あっ、ちゃうわ)
「ありがとうございました」ということと「お世話になりました」ということと二つ出たな?

もうないか? もうないでしょうか? 
どんなこと言うやろなって思うてください。

けれどもね、折角答えを出してくれてありがとう。

けれども、これはね、国語でよう言うでしょ?

国語の時間で、こんなんもう習わへんのかな。接頭語なんですよ。つけたりなんですよ。ね。普通の人やったら「ありがとうございました」言うのは当たり前やんか。

せやろ?

 「お世話になりました」普通やん、それは。

 けれども刑務所に15年もおって、出ていく時には、これは言うけれども、この後ろにもっとすごいことを言うて出るんです。もっとすごいことを言うて出るんですよ。

それは何かって。

Mさん。
「さよなら?」

さよならー。もうじき言わんならんな。もうじき人生にさよならするんやで、みんな。あと何十年もしたら。

すごいことを言うて出るんです。

それはね、どういう言葉を言うかというとね、

「ありがとうございました。大変お世話になりました。こんどこそ真人間になります。」って言うて出て行くんやそうです。

「こんどこそ真人間になります。」って。

じゃーね、屁理屈を言うんやないけど、「人間」という生き物と「人間」があって、わざわざ上に「真」という字が付くということは、人間には種類があるちゅうことや。

「真人間」と「真」の付いてない「人間」がおるんや。

 人間には二種類あんねん。いやもちょっと厳密に言うと、人間の格好しているけどオオカミになってしまった人もあんねん。けれどもオオカミにならなかったら、普通に生きたら「人間」やそうです。だって「真人間」という言葉があるんやもん。

 お父さんお母さんの中には、きっと聞いた人あると思うよ。「お前、ちゃんと真人間になれー」言われて、親から言われたり。

 「真」の付いてへん人間をどない言う知っていますか?
こっちの方。
これ「人間」と読むか?
「人間」やわな。これまた違うフリガナがあんねんぞ。「真」が付いてないから、これ「まぬけ」ちゅうんやて。「このまぬけが」って。

 私たちはこの世界中の中にいっぱい生き物がおります。ものすごいことの生き物がおります。けれどもね、物を作り出し、ものを考え、相手のことを考えられる能力を持って、自分の考えることを人に伝える言葉も字も知っています。そういう生き物なんです。そうすると、普通の人間でなしに、相手の立場に立って、キッチリと考えていける人間にならなあかんのんちゃうやろかね。

 そのことが、一番最初に黒板に書いてもらった「HUMAN RIGHTS」。そのことが「人権を守る」ということなんです。「人権を守る」ということはね、自分の人権を守ってほしかったら、他人の人権を守らないと私の人権を守ってもらえないんです。

 人は生まれながらにして人権を持っていると言うけれども、ホントですかね?

さっきのオオカミ少女のあの写真見せたでしょ?

人権を守るということは、人権を守る人間に自分が育っていかないとだめなんです。自動的に人権なんて絶対に守ってもらえないんですよ。自分が守れるような人間にならないとあかんのです。そんな人達をたくさん創っていくことなんです。

 ちょっと今日は話が堅うなったけど。

 体育館を出る時に、いや教室に入ってからかもわからんけど、さっきの懸岡君の作文をプリント印刷してもらっています。もう一度教室に入ってね、気が付くということはどういうことなのかということをね、一人ひとり考えて欲しいなっ思います。

 難しかった? 今日の話?。

今日は一緒の時間、一緒の命をこの時間一緒でここで暮らしました。

みんな同じ命を生きています。

ありがとうございました。さよなら。

感想文

 1年生 M・Kさん
 私が酒井さんの話の中でも特に心に残ったことは、「人は人として生まれてくるか」「人は生まれながらにして人権が保障されているか」の二つが私の考えとちがう考え方で心に残りました。人が人として生まれてくるのはあたりまえだと私は思っていました。でもそうじゃなくて、人は、考えて、学んで、楽しんで、苦しんで、悩んで、そして人として、つまり「真人間」になるんだろうなあと思いました。あと、学校の人権の勉強で「人は生まれながらにして、人権が保障されている」とかいうふうにならったけど、かんたんにいうと、人は生まれた時はみんな平等に人として生きるチャンスがあたえられている。こういうことだと思います。
 だから自分が自分の悪い所に気がついて、人として生きるためにも悪い所をなおしていけば、酒井さんの言われた、人として生きる、真人間になれるのだろうなあと思いました。私は今まで、自分の悪い所に気がついてきました。そして、直そうと、自分なりに努力もしたつもりです。でも、まだ自分のしらない所で、人をきずつけたりしているのだろうなあと思いました。

 1年生 E・Mさん
 酒井さんの講演を聞いて、人間ってなんか不思議やなと思いました。今いろいろしゃべれる事、歩ける事があたり前です。だけど、あの男(女)の子は17才になってやっと40の言葉をしゃべれ、少しだけど歩ける様になった。人間は、何も教えてもらわなければ、知識のないまま育っていく。私は、家族・友達・学校を通して今までずっと私の心の中や頭の中まで育ててもらっていたんだと実感した。だれか人がいて私がいるんだって思った。最後に酒井さんが言われた言葉、「今日は、同じ時間、同じ命をここで、この場所で過ごしたんだよ。」何か、私の心に残っている。今まで、そんなこと考えたことなかった。授業中や、部活動で…。よく考えれば、何かしている時、必ずだれかと一緒に同じ時間を過ごしてた。一緒にいて当たり前、授業を一緒に受けて当たり前。私は、生活する中で何もかもが当たり前としか考えられなかった。
 「同じ人間」これはだれだって分かる事だ。同じ命、同じ人権、同じ時間…。あたえられているものは同じなのに、人を人として見れない人がいる。でも、同じ様に人と人に接していくのも難しい。心の中で、頭の中で分かっているけどできない。人間って本当に何だろうと不思議に思う時があったけど、酒井さんの話を聞いて、なんか少しわかった気がする。そして、ちょっとうれしかった。

2年生 N・Kくん
 講演を聞いて思ったことは、僕はあんまり講演は好きではないが、酒井勝彦さんは、笑いや、とてもユニークな話し方なので、たいくつしなかった。僕は、話し方がうまいなぁと思いながら聞いていた。その中でも、心に残っているのは元服という話だった。なぜこの話が心に残っているかというと、僕も同じ体験をしたからだ。それは4月、柔道で初段をとりに行って、僕一人が落ちたことだ。その時の気持ちといったら、すごいくやしさや、苦しみ、孤独感がいりまじったような気持ちだった。でも僕は、その気持ちをバネにして、毎日毎日、家で走りこみや、筋トレにはげんで、7月で初段をとることができたのである。
 このことを思い出しながら元服という作文を聞いていた。
 僕は思った。こういう苦労や、くるしみ、悲しみをのりこえてこそ、『人間を生きる』ということなのだと。

3年生 K・Mさん
 私は今まで、「人権は生まれながらにして誰にでもあるものだ」と思っていた。社会などの授業でもそう習ったし、先生もそう言っていた。でも今日の講演を聞いてその考えが一気に崩されてしまった。「人権は自動的に保障されるものではない。自分たちで作り、守っていくものだ。」 私は講演会の前と後で、こんなにも考えに変化が出た。大安の日に退院すると良いとか、仏滅に結婚すると悪いだとか、酒井さんの言葉を聞いていると、本当にただのなんでもない「1日」に思えたし、今まで自分が朝早く起きて見ていた占いも、なんだか馬鹿らしい。まぁ、気休めになったり楽しめたりするので、これからはそれを無視するという訳ではないけれど、いつもそれに流されすぎるのは良くないと思うようになった。これまでに何度か「講演会」に参加したことがあるけど、今回の講演が私にとって一番いい意味でのショックだった。そして私には「『人間らしい』って何だろう」という疑問が残った。今日、家で家族と話してみようと思う。

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