お盆というのは、ウラバーナというサンスクリット語の音訳です。漢字に当てはめると盂蘭盆となったのです。
釈迦の弟子の一人に目連という方がいました。神通力の持ち主だということです。
ある時、亡くなった目連のお母さんが、今どうしているかと神通力で見てみると、こともあろうに、地獄で逆さ吊りになっていたのです。
お釈迦さまの教えを信じ、一生懸命に修行をしている自分の母が、まさか、地獄で逆吊りりなっていようとは。
目連は お釈迦さま に、どうすれば母を地獄から救うとができるかと訊ねました。
お釈迦さまは、
もうすぐ安居(勉強会)を終えてたくさんの人たちが出てきます。その方達は、きっとお腹を空かしているでしょうから、みんなに何か食べ物を与えなさい。そうすればお母さんは救われるでしょう。
と話されました。
目連は、母が強欲で残した五つの倉の中の物をすべて売り払い、安居を終えて出てきた沢山の人たちに食事を提供しました。
そして、もう一度母の様子を見ると、母は地獄から救われていたのです。
何だか眉唾みたいなお話ですが、目連父母恩重経というお経に描かれている物語です。
実は、「ウラバーナ」という意訳は倒懸、つまり逆吊りという意味なのです。
この物語から、夏の暑い最中にお盆という行事が行われるようになりました。安居は、蒸し暑くて、地面にはいっぱいの虫たちが這い回る季節です。虫を踏み殺してはいけないと、托鉢に出ずに、みんなが集まって勉強をしたのです。
法事などで、食事が提供されるのも、この物語に因んでいることも一因なのです。仏教は、私達の身近な生活の場での行いを喩にしていることが多いのです。
さて、あなたのお母さんは、地獄で逆吊り??
お盆が近づくと、私達の世代で思い出すのは、終戦です。そして、広島・長崎に原爆が落とされた日時の黙祷。
軍馬を大事にせよ。お前達兵は、1銭5厘でいくらでも補充できるが、馬はそうはいかん。
数日後に出発という前に、人的資源を残してこい、と、外出許可。
戦死をすれば英霊となり、かわいい息子の遺骨を抱いても、お国のためにと泣けなかった母。
戦争の原因の賛否は、人それぞれ。
しかし、兵士はもちろん、非戦闘員であった市民も、幼子も、敵も味方も、たった一つしかない命を失っていったという事実は、誰も否定できないのです。
戦争反対を唱えようものなら、非国民として阻害と迫害を受け、おかしい?と思いながらも、それに従わざるを得なかった不幸な出来事。
私の叔父は、本来、宗玄寺の住職となるべき人でした。今でいう高校を出て、専修学院という住職学校を出て、近くの小学校の教員をしていました。昭和19年。その人にも一通の赤紙が届いたのです。
学校を去るとき、生徒達に言い残していったということです。
男の子は、軍人にはなるなよ
女の子は、軍人のお嫁さんになるなよ
戦死したり、後家さんになるからな
って。
戦後50年経って、もう随分と歳を召された女性から、こんなことを言い残されましたよ と聞く機会がありました。
姫路の連隊で、軍服の叔父に抱かれている古い写真が残っていました。叔父は、あの沖縄で戦死したのです。帰ってきた箱には、名前を書いた小さな板切れが入っていたそうです。
祖父と祖母の間には、女、女、女、と子どもが産まれました。そして、四人目に男の子が産まれたのです。
祖父は大層よろこんで、その子を男也と名付けました。
でも、そんな子どもも、たった一枚の赤紙で連れて行かれたのです。
戦死の公報が届いても、祖母は我が子の死を信じることが出来ませんでした。
風が吹いて、表の戸が鳴ると、男也が帰ってきたと、戸を開けに行ったそうです。
もうまるで、岸壁の母そのものです。
5年も10年も続いたそうです。
父を嘆かせ、母を泣かせる。それが戦争です。
戦争は人間のもっとも愚かな行いだ。狂気だ。とも言われます。
お盆は、私達に悲しみを思い起こさせるものかも知れませんね。
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