罪福信


 宗教を信じると、幸せがくる。
 宗教を信じると、不幸が逃げていく。
 宗教を信じると、罰が当たらない。
 宗教を信じると、今度はいい環境に生まれ変われる。
 宗教を信じると、金が儲かる。

と思っておられませんか?

 宗教を信じても、いや、真宗を信じなくても、そんなことは起こりません。信じると○○が起こる、ということは、罪福信といって、いわば一種の占いの分野かもしれません。

 お神籤おみくじを引くと「凶」と出ると、私たちは、せめて「小吉」が出るまではと、何度もひき直すことがあります。つまり、自分の都合の良いことをご託宣してほしいのです。

 お祭りの夜店の中に、「当てもの」という屋台があります。人間の持つ射幸心をうまく利用したご商売です。子供の頃、たくさん並んでいる一等の品がとても欲しかったのです。でも、くじを引いても引いても、出てくるのはせいぜいが三等までです。でも、私はあきらめることが出来ませんでした。

 なにがしかのお祭りの小遣いは、全部無くなってしまい、ついにお目当ての品を手に入れることは出来ませんでした。お店のおじさんが、たいそう気を使ってくれて、私のことを気の毒に思って慰めてくれたのを記憶しています。お店の方は、そのお目当ての一等が出てしまうと、もうその日は商売にならないのです。

 商工会の誓文払いという年末の大売り出しが、私の村にもありました。もう随分昔のことです。お店で買い物をすると、500円に一枚とかの割で、あのガラガラの回る抽選器を回せる抽選券がもらえます。抽選会場には、一等から五等(はずれ)まで景品が並べられ、にぎやかに飾られます。

 ところが、運悪く、初日のはじめに一等から三等まで全部当たってしまうと、もうお客さんは来ないのです。いくら商品はそのまま並べられていても、もう自分のものになる確率はゼロだからです。

 一等と二等の玉は、最後の日に入れようか・・・・。

なんて苦肉の策が講じられないとも限りません。そうすると、初日から最終日の前日までは、お客は知らないだけで、一等と二等が当たる確実はゼロなのです。

所詮、罪福信なんてものは、そんなものかも知れません。

 節分の日に、恵方に向かって巻寿司を丸かじりすると幸せが来る・・・。

 幸せどころか、場合によってはのどに詰めて救急車か飛んでくることになりかねません。
お寿司屋さんのキャンペーンだというが、その日のスーパーでは巻寿司がよく売れるそうです。

バレンタインデーのチョコレートも、どこかの製菓会社のキャンペーンだったそうです。本場のキリスト教の国のバレンタインデーはそんなんじゃないのだそうです。 


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