元服


 僕は今年の三月に、担任の先生にすすめられてAと共に○○高校を受験した。○○高校は私立ではあるが、全国の優等生の集まってくる、いわゆる有名校である。担任の先生から、「君たち二人なら絶対に大丈夫だと思う」と、強くすすめられたのである。僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと、僕は猛烈に勉強した。

 ところが、その入試でA君は期待通りにパスしたが、僕は落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底へ落ちてしまったのだ。何回かの実力テストでは、いつも僕が一番で、A君はそれにつづいていた。それなのに僕が落ちてA君が通ったのだ。
 
 誰の顔も見たくない惨めな思い。父母が部屋に閉じ込もっている僕のために、僕の好きなものを運んでくれても、優しい言葉をかけてくれても、それがかえってしゃくにさわった。何もかも叩き壊し、引きちぎってしまいたい「怒り」にもえながら布団の上に横たわっているとき、母が入ってきた。

 「Aさんが来てくださったよ」という。

僕は言った。
 「母さん。僕は誰の顔も見たくないんだ。特に世界中で一番見たくない顔があるんだ。誰の顔 か言わなくってもわかるだろう。帰ってもらってくれ」

母は言った。
 「折角わざわざ来てくださったのに、母さんにはそんなこと言えないよ。あんたたちの友達関係って、そんなに薄情なものなの? ちょっとまちがえれば敵味方になってしまうような薄っぺらなものなの? 母さんにはAさんを追い返すなんてできないよ。嫌なら嫌でそっぽを向いていなさい。そしたら帰られるだろうから」
と言って母は出ていった。

 入試に落ちた惨めさを、僕を追い越したこともない者に見下され、こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、僕は気が狂いそうだった。

 二階に上がって来る足音が聞こえる。布団をかぶって寝込んでいるこんな惨めな姿なんか見せられるか。胸をはって見据えてやろうと思って僕は起きあがった。

 戸が開いた。
 中学の三年間、A君がいつも着ていたくたぶれた服のA君。涙をいっぱいためたクシャクシャの顔のA君。

 「懸岡君。僕だけが通ってしまってごめんね」
やっとそれだけ言ったかと思うと、両手で顔をおおい、かけ降りるようにして階段を降りて行った。

 僕は恥ずかしさでいっぱいになってしまった。
 思い上がっていた僕。
 いつも「A君なんかに負けないぞ」とA君を見下していた僕。
 その僕が合格して、A君が落ちていたとして、僕はA君を訪ねて行って、「僕だけが通ってしまってごめんね」と、泣いて慰めに行っただろうか。
 ザマー見ろと余計思い上がったにちがいない自分に気づくと、こんな僕なんか落ちるのは当然だと気がついた。
 彼とは人間の出来が違うと気がついた。

 通っていたら、どんなに恐ろしい独りよがりの思い上がった人間になってしまったことかと。
 落ちるのが当然だった。落ちてよかった。本当の人間にするために、天が僕を落としてくれたんだと思う。

 悲しいけれども、その悲しみを大切に出直そうと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。

 僕は今まで、思うようになることだけが幸福だと考えてきたが、A君のおかげで、思うようにならないことの方が人生にとって最も大事なことなんだということを知った。

 昔の人は十五歳で元服したという。僕も入試に落ちたおかげで元服することができた気がする。


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