ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
舎利弗、上方世界 有梵音仏 宿王仏 香上仏 香光仏 大焔肩仏 雑色宝華厳身仏 沙羅樹王仏 宝華徳仏 見一切義仏 如須弥山仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 偏覆三千大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称讃 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経。
舎利弗、上方の世界に 有梵音仏・宿王仏・香上仏・香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・沙羅樹王仏・宝華徳仏・見一切義仏め如須弥山仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。
上方世界には、十仏の名が出ております。はじめの梵音仏は、梵音如来ともいわれます。前に妙音仏、景勝音仏の名が出ておりました。梵は清浄という意味で、清浄な濁りのない音声で説法される仏さまです。
次の宿王仏は、宿王如来ともいわれておりますり宿は星宿ということで、月は星の中の王ですから宿王といわれます。そのように如来の徳は、諸仏の中の王であることは、月が星の中の王であるように、宿王仏と名づけられるのであります。
香上仏の香は、念仏の徳をあらわします。栴檀香のような、よい香りのある徳を具せられた仏さまです。香光仏は、香光如来ともいわれ、智慧の光明は香のように遠く流れ、人々のこころに薫ずるので、香光仏といわれます。聖人は「染香人のその身には.香気あるがごとくなり」と、仰せになりました。どんな悪人凡夫でも、法を願いて念仏する人には、法の徳の香りがします。
私のところにたいへん苦労をされ、また熱心に法を聞かれたおじいさんがおられました。無口な人でしたが、その人に近づくと何とはなしに、香気に照らされてこころが安まり、私のような眠りの深い者でも、法を聞いてあの人のようになりたいという、願いを起こさずにおれませんでした。
教化ということは、染香人の香気が自然に移ることでしょうか。句仏上人に「一人の信徳に風かをるむら」という、ほのぼのとした句があります。香光仏が思われます。
大焔肩仏は、南方世界に出ておりました。また北方世界には焔肩仏とありました。雑色宝華厳身仏は、色とりどりの華によって仏身を飾られた仏さまです。六度万行のご修行をされるそのご修行の華によって、仏身が美しく飾られるのであります。『華厳経』というお経があっます。色とりどりの華によって飾られる経典ということで、この経典の名が仏名になっております。ということは『華厳経』の仏さままでが、阿弥陀仏の徳を讃歎麓し、信を勧めていてくださるのであります。
婆羅樹王仏の裟羅樹は、お釈迦さまがご入滅になった沙羅双樹林であります。夏も冬も萎まず竪固の樹であります。諸々の木に勝れているので、沙羅樹王といわれます。この婆羅樹王のように、不定な人間世界にあって、如来の徳のみ常住不変で、堅固であることを教えられる仏さまです。宝華徳仏は、紅蓮華勝徳如来ともいわれ、蓮華によって仏身が飾られている仏さまです。
見一切義仏は、示現一切義理如来といわれます。一切の法の道理を見そなわす、深い智慧のある仏さまです。人間はどういうものであるかということも、苦しみ悩みの本もご存じであるし真の救いは、いかにして得られるかも承知しておられます。そして縁ある人に対しては、こころの中を十分聞きとって、深い智慧をもって懇切に説き導かれる仏さまです。如須弥山仏は、須弥山のような広大な徳のある仏さまです。
これで六方段のご説法が終わりになりますが、六方の諸仏の証誠は、今日の私一人のためであります。私が本願を疑っことは、諸仏の証誠を疑うことで、せっかくのご苦労を無にすることになります。
善導大師は、「もし諸仏の証誠によって生まれることができなかったら、舌を出して讃嘆された諸仏の舌が、再び口に還り入ることはない」と、言葉を極めて仰せになりました。私どもは諸仏のお思し召しに順って、本願を信ずべきことであります。
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