ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
舎利弗、西方世界 有無量寿仏 無量相仏 無量幢仏 大光仏 大明仏 宝相仏 浄光仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 偏覆三千大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称讃 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経。
舎利弗、西方の世界に、有無量寿仏・無量相仏・無幢量幢仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。
西方世界には七仏の名が出ております。はじめの無量寿仏は無量寿如来とも訳されております。昔から『仏説無量寿経』にも『仏説観無量寿経』にも阿弥陀仏を無量寿仏とありますから、この無量寿仏も阿弥陀仏と同じ仏であるか異なるか、ということが議論されておりますが、いまはそのことに深くかかわるつもりはありません。すべての諸仏は阿弥陀仏を本仏として顕れるのですから、この無量寿仏も本願の真実を証明される西方世界の一仏と受けとってよいでしょう。
無量寿のいのちに生きられる仏さまです。といいますと、青年も200年も長生きをするように考えがちですが、そうではありません。いのちでも寿という如来のいのちであります。おまえが仏にならなかったら私は仏になることができないと、私どもといのちをともにして願いをかけてくださっている如来の願いに生きることです。
この願いに生きる人は、たとえいま死んでも後悔ないと言えるほど現在の一念に身を立てて、充実して生きることができるのです。年が寄っても極楽浄土を目標として、一足一足、若々しくこの生を歩み尽くすことができることを身をもって証明して、私どもにも無量寿に生きよとおすすめくださっている仏さまです。
無量相仏は無量薀如未とも言われ、無量の徳をあつめ、また無量の相をして教化される仏さまです。教えを聞く人はそれぞれ異なるから、その人に応ずる相をあらわして教化をされるのでありましょう。
無量幢仏は無量幢如来とも言い、ちょうど猛将が旗を建てて敵を伏するように無量の仏法の旗を建てて方途を失って惑っている人々の心を開いてくだきる仏さまです。『仏説無量寿逢』には、「法の旗を建て邪見の心を砕き、また雷がかがやき、電がかがやき、雨樹いで草木を潤し、もろもろの世の人の迷いの夢を覚させられる」とあります。
大光仏は大光如来と、大明仏は光焔如来とも言われております。大いなる光明の徳をそなえ、光明をもって世を照らしてくださる仏さまです。いまは亡き人ですが、私の存じておりました同行は想像できないほどの苦労を経験した人でした。幸い法縁に恵まれ、常に身をもって聞法をしたその徳でしょうか、少しの暗さも見られません。苦労が光っていると申しましょうか。その光に照らされて、たくさんの人々が法縁を結ばれたと聞いております。大光仏、大明仏はこういう仏さまでしょうか。
宝相仏は大宝幢如来とも申し、仏法・僧の旗を掲げ高貴な相好をもって法を説いてくださる仏さまです。聖徳太子は「篤く三宝を敬え」と、三宝のない世に三宝を掲げてくださったその言葉、その行徳は、なお今日の世の旗印で宝相仏を思わしめられます。浄光仏は放光如来とも言われ、清浄の光をもって貪欲の煩悩を清めてくださるのであります。
西方世界も南方と同じように、この七仏の外に恒河の砂ほどの諸仏がおのおのその国において広長の舌相を出して、偏く三千大千世界を覆って念仏の真実をお説きになっております。六方段にはこのように同一の言葉が六回、『称讃浄土経』には十回、繰り返してあります。愚痴無知の疑い深い私どもに成りさがって何とかして信を得させたいというご親切から、繰り返してお諭しくださる同体大悲の仏意がありがたくいただかれます。
大悲護念 大悲護念に 夜は明け 大悲護念の 陽はくれていく
-金子大栄-
旧ホームページからの移転